タビナス・ジェファーソン(Jefferson David Tabinas[2]、1998年8月7日 - )は、東京都新宿区出身のプロサッカー選手。タイ・リーグ1・ブリーラム・ユナイテッドFC所属。ポジションはディフェンダー(センターバック、左サイドバック)。フィリピン代表。
来歴
クラブ
生まれ育ちは日本であるが、父親はガーナ人、母親はフィリピン人である[3]。FCトリプレッタでプレーしていた中学2年生のときに、桐光学園高等学校サッカー部監督の鈴木勝大にそのポテンシャルを高く評価され、桐光学園に進学[4]。鈴木の判断により、それまでのセンターバックから左サイドバックにポジションを移す[4]。
桐光学園では2年時に出場した全国高校サッカー選手権大会ではベスト16進出に貢献して優秀選手に選出された。
2016年9月21日に川崎フロンターレより2017年の新加入内定が発表された[5]。報道によれば川崎以外にもFC東京、横浜F・マリノス、ジュビロ磐田、ガンバ大阪などJリーグの6~7クラブが獲得に動いたとされる[4][6]。高校最後の高校サッカー選手権では1回戦で長崎総合科学大学附属高等学校に敗戦して引退となった。
2017年、川崎フロンターレに入団。
2019年、FC岐阜に期限付き移籍[7]。4月7日、J2第8節の愛媛FC戦で公式戦初出場を果たした。
2020年、ガンバ大阪に期限付き移籍で加入。主にU-23チームの一員としてJ3リーグ戦30試合に出場し、センターバックとしてプレーした。
2021年、川崎フロンターレとの契約が満了し、自由移籍で水戸ホーリーホックに加入[8]。10月17日、レノファ山口FC戦でプロ入り初得点を決めた。
2024年、水戸を離れ、タイ・リーグ1のブリーラム・ユナイテッドFCに加入した。
代表
国籍は母親と同じフィリピンであるが、生まれ育った日本国籍の取得を目指していた[3]。しかしながら帰化申請の資格要件を満たしていないことが判明し、国籍取得に相当な時間がかかることに加えて、フィリピン代表監督のスコット・クーパー(英語版)から再三の打診を受けてフィリピン代表を選択[9]。2021年5月21日、フィリピン代表に初選出され[10]、6月7日、カタールW杯アジア2次予選中国戦でスタメンでフル出場し代表デビューを飾った。
人物
- 同じくプロサッカー選手のビスマルクは実弟。
- 日本語、英語に加えてフィリピンの公用語であるタガログ語に堪能なトリリンガル。父とは英語、母とはタガログ語で会話する。
所属クラブ
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2017 |
川崎 |
26 |
J1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
2018 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
2019 |
岐阜 |
36 |
J2 |
8 |
0 |
- |
1 |
0 |
9 |
0
|
2020 |
G大阪 |
28 |
J1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0
|
2021 |
水戸 |
4 |
J2 |
32 |
1 |
- |
0 |
0 |
32 |
1
|
2022 |
23 |
1 |
- |
0 |
0 |
23 |
1
|
2023 |
19 |
0 |
- |
2 |
0 |
21 |
0
|
通算 |
日本 |
J1
|
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0
|
日本 |
J2
|
82 |
2 |
- |
3 |
0 |
85 |
2
|
総通算
|
82 |
2 |
1 |
0 |
3 |
0 |
86 |
2
|
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
期間通算
|
2020 |
G大23 |
28 |
J3 |
30 |
0 |
30 |
0
|
通算 |
日本 |
J3
|
30 |
0 |
30 |
0
|
総通算
|
30 |
0 |
30 |
0
|
タイトル
クラブ
川崎フロンターレ
ブリーラム・ユナイテッドFC
個人
代表歴
出場大会
- 日本高校サッカー選抜
- NEXT GENERATION MATCH(2016年)
脚注
関連項目
外部リンク