シモン・サブローザ

シモン・サブローザ
名前
本名 シモン・ペドロ・フォンセカ・サブローザ
Simão Pedro Fonseca Sabrosa
ラテン文字 SIMAO
基本情報
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 (1979-10-31) 1979年10月31日(45歳)
出身地 ヴィラ・レアルコンスタンティン地区
身長 170cm
体重 64kg
選手情報
ポジション MF (LSH) / FW (LWG)
利き足
ユース
1990-1992 ポルトガルの旗 ディオゴ・カン
1992-1997 ポルトガルの旗 スポルティングCP
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-1999 ポルトガルの旗 スポルティングCP 53 (12)
1999-2001 スペインの旗 バルセロナ 46 (3)
2001-2007 ポルトガルの旗 ベンフィカ 172 (75)
2007-2010 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 113 (20)
2011-2012 トルコの旗 ベシクタシュ 46 (8)
2012-2014 スペインの旗 エスパニョール 60 (3)
2015 インドの旗 ノースイースト・ユナイテッド 10 (3)
代表歴2
1998-2000  ポルトガル U-21 15 (8)
1998-2010[1] ポルトガルの旗 ポルトガル 85 (22)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年9月18日現在。
2. 2016年9月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

シモン・ペドロ・フォンセカ・サブローザ(Simão Pedro Fonseca Sabrosa, 1979年10月31日 - )は、ポルトガルヴィラ・レアル出身のサッカー選手。元ポルトガル代表。ポジションはミッドフィールダーフォワード

日本ではシモンをシマゥン、シマオ、シマン、サブローザをサブロサと表記されることもある。

リスボンの2大クラブであるSLベンフィカスポルティングCPでプレーした経験があり、スペインのFCバルセロナアトレティコ・マドリードRCDエスパニョールにも在籍。ポルトガル代表としてはFIFAワールドカップUEFA欧州選手権に2度ずつ出場し、通算85試合に出場して22得点を挙げた。

経歴

クラブ

スポルティングCP

ヴィラ・レアルのコンスタンティン村に生まれ、ルイス・フィーゴクリスティアーノ・ロナウドを輩出したスポルティングCPの下部組織に入団した。17歳だった1996年、ジル・ヴィセンテ戦でトップチームデビューすると、1997-98シーズンにはレギュラーの座を奪取した。1998-99シーズンにはリーグ戦で10得点とブレイクし、スポルティング在籍時には通算53試合に出場して12得点した[2]

FCバルセロナ

1999年夏、移籍金1500万ユーロ(約24億7500万円)でスペイン・リーガ・エスパニョーラFCバルセロナに移籍した[3]。1999-2000シーズンは左ウイングとしてプレーし、右ウイングのルイス・フィーゴと良いコンビを築いた。しかし、チームの戦術にうまく対応できず、わずか2シーズンの在籍に終わった。

SLベンフィカ

2001年夏、わずか2シーズンの在籍でFCバルセロナを離れ[4]、移籍金1200万ユーロ(約19億8000万円)で母国のベンフィカに移籍した[5]。すぐにファンのお気に入りの選手となり、キャプテンにも就任した。6シーズンの在籍期間中ずっとチーム得点王となり、リーグ全体を見渡しても得点ランキング上位に位置した。2004-05シーズンにはリーグ戦全試合にフル出場して15得点し、11シーズンぶりのリーグ優勝を飾った[6]タッサ・デ・ポルトガルでも決勝に進出し、決勝のヴィトーリア・セトゥーバル戦では4分にペナルティキックで先制点を決めたが、その後逆転されて準優勝に終わった。同シーズンのUEFAカップでも全試合に出場し、FKデュクラ・バンスカー・ビストリツァ戦 (3-0) での2得点を含めて4得点した[7]。2005-06シーズンも好調を維持し、UEFAチャンピオンズリーグでは準々決勝に進出した。チームが戦った10試合のうち8試合に出場し、グループリーグのマンチェスター・ユナイテッド戦 (1-2) ではアラン・スミスのファールによって自らが得た直接フリーキックを見事にゴールに蹴り込み、反撃の機運を高めた[8]。決勝トーナメント1回戦では前年度覇者のリヴァプールと対戦し、アンフィールドで行われた試合ではGKペペ・レイナの左側を射抜くシュートを決めた。2試合合計3-0で勝利し、準々決勝進出を決めた[9]

2005年夏にはリヴァプールのターゲットになり[10]、約1200万ポンドのオファーが出されたが、ベンフィカがより高い金額を求めたために交渉は決裂した[11]。2006年夏にもマンチェスター・ユナイテッドやリヴァプールなどのクラブが獲得に興味を示したが[12][13]、ベンフィカに残留する道を選んだ。

アトレティコ・マドリード

アトレティコ・マドリード時代のシモン(右)

2007年7月20日、スペインのアトレティコ・マドリードと年俸250万ユーロ(約4億円)で4年契約を結んだ[14]。移籍金は2000万ユーロ(約32億4000万円)[15]。2007-08シーズンと2008-09シーズンは絶対的なレギュラーであり、2シーズン連続でリーグ戦7得点を挙げ、2シーズン連続でUEFAチャンピオンズリーグ出場権内の4位となった。2009年4月12日のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦において、100年以上の歴史を誇るアトレティコ・マドリードのリーグ戦通算4000得点目を決めた[16]。2009年夏にはアベル・レシーノ監督が就任し、チーム改造の最中にシモンはキャプテンに指名された[17]。2009-10シーズンのチームは全体的に低調なプレーぶりだったが、UEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグのAPOELニコシア戦 (1-1) では引き分けに持ち込む得点を決め、グループリーグ3位でのUEFAヨーロッパリーグ出場に貢献した[18]。2010年1月14日、コパ・デル・レイレクレアティーボ・ウェルバ戦 (5-1) では、2試合合計同点に追いつく素晴らしいフリーキックなどで2得点を挙げた。UEFAヨーロッパリーグのガラタサライSK戦でも重要な得点を決め、決勝ではフラムFCに勝利して優勝した。2010年2月14日のFCバルセロナ戦では、それまでリーグ戦で無敗を続けていたチームに対して決勝ゴールを決め、勝負強さを見せつけた。

2010年8月に行われたUEFAスーパーカップインテルナツィオナーレ・ミラノ戦 (2-0) ではセルヒオ・アグエロの得点をアシストし、2010年9月22日のビジャレアルCF戦 (1-1) では重要な得点を奪うなど、2010-11シーズンは開幕戦からの8試合で3得点を挙げる活躍を見せ、16戦中15試合に出場した。アントニオ・ロペス欠場時にはしばしばキャプテンを務めた。

ベシクタシュJK

2010年12月22日、ウーゴ・アルメイダリカルド・クアレスマなどポルトガル人が多く在籍していたトルコ・スュペルリグベシクタシュJKと契約を結んだ[19][20]。5月11日、テュルキエ・クパス決勝のイスタンブールBB戦(2-2、PK戦4-3)ではPK戦にもつれ込んだが、シモンが最終キッカーとして優勝を決めた。

RCDエスパニョール

2012年8月17日にスペインのRCDエスパニョールに移籍した。2013-14シーズン終了後にエスパニョールを退団した。

ノースイースト・ユナイテッドFC

2015年6月25日、インドのノースイースト・ユナイテッドFCへ加入したことを発表した[21]。引退の可能性も取り沙汰されていたが、1年間の無所属を経て再びピッチに戻ってくることになった。

代表

ポルトガル代表でのシモン

1996年にはU-17ポルトガル代表としてUEFA U-17欧州選手権に出場して優勝した。1997年にはU-18ポルトガル代表に昇格し、1999年頃にはU-21ポルトガル代表のレギュラーであった。

19歳だった1998年11月18日、イスラエル戦でポルトガルA代表デビューした。2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では6試合に出場して本大会出場に貢献したが、本大会直前に行われたフィンランド戦で左膝靭帯損傷の大怪我を負い、本大会出場を逃した[3]

UEFA EURO 2004

2004年には母国で開催されたUEFA EURO 2004の出場メンバーに選ばれ、6試合中3試合に出場して準優勝という好成績に貢献した。準々決勝のイングランド戦で途中出場すると、相手MFフランク・ランパードの厄介なパスをインターセプトしてエルデル・ポスティガにクロスを送り、フリーのポスティガが同点に追いつくヘディングシュートを決めた。延長戦でも決着が付かずにPK戦にもつれ込んだが、シモンもPKを成功させて準決勝進出に貢献した[22]

2006 FIFAワールドカップ

2006年にはドイツで開催されたワールドカップに出場し、グループリーグのメキシコ戦 (2-1) の24分に先制点を挙げた[23]。準々決勝ではイングランドと対戦し、再び勝敗の行方はPK戦に持ち込まれたが、PKを成功させて勝利した[24]

UEFA EURO 2008

2008年にはスイスとオーストリアで共催されたUEFA EURO 2008のメンバーに選ばれ、3試合に出場したが、準々決勝でドイツに敗れた[25]

2010 FIFAワールドカップ

2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では世界的なスター選手となったクリスティアーノ・ロナウドに注目が集まったが、ハンガリー戦 (3-0) で2得点を挙げるなど[26]、同予選ではチーム内得点王となる4得点を挙げた[3]。南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップ本大会のメンバーにも選出され、7-0と大勝したグループリーグの北朝鮮戦ではきっちりと得点を奪った。

2010年8月27日、個人的な理由により代表引退することを発表した[27]

人物

家族

3人兄弟の末子である。2009年3月15日、姪がケブラーダの海岸で溺死した[28]。既婚者であり、妻との間に一男一女がいる。

その他

Como Se Faz um Campeão(ハウ・トゥ・メイク・ア・チャンピオン)というタイトルの子ども向けサッカーDVDを発売している。このDVDではパス、トラップ、クロス、シュートなどサッカーの基本となる技術的要素を取り扱い、DVDの歴史上先例のない映像の技術効果を巧みに使って説明されている[29]。彼はまた、ZON Multimédiaからオファーを受けて高解像度チャンネルのSport TVの司会を務めた。この映像はリスボン郊外のエスタディオ・ナシオナルで撮影され、試合前の控室の様子が映されている[30]

テレビゲームであるFIFA 10のポルトガル版ではフランク・ランパードとともにパッケージキャラクターを担当した[31]

個人成績

クラブでの出場記録

クラブ リーグ シーズン 国内リーグ 国内カップ Europe 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
スポルティングCP スーペル・リーガ 1996-97 2 1 1 0 0 0 3 1
1997-98 21 1 3 0 2 0 26 1
1998-99 30 10 1 0 2 0 33 10
通算 53 12 5 0 4 0 62 12
FCバルセロナ ラ・リーガ 1999-00 21 1 * * 7 0 * *
2000-01 25 2 * * 9 0 * *
通算 46 3 * * 16 0 * *
SLベンフィカ スーペル・リーガ 2001-02 26 11 1 0 27 11
2002-03 33 18 0 0 33 18
2003-04 31 12 4 1 10 2 45 15
2004-05 34 15 4 3 10 4 48 22
2005-06 24 9 3 2 8 2 35 13
2006-07 24 11 3 1 12 4 39 16
通算 172 76 15 7 40 12 227 95
アトレティコ・マドリード ラ・リーガ 2007-08 30 7 3 0 8 3 41 10
2008-09 33 7 3 0 8 2 44 9
2009-10 34 2 8 3 17 2 59 7
2010-11 16 4 1 1 7 1 24 6
通算 113 20 15 4 40 8 168 32

*Information not available

代表での年別出場試合数


ポルトガル代表国際Aマッチ
出場得点
1998 1 1
1999 0 0
2000 5 0
2001 5 0
2002 4 0
2003 8 3
2004 12 1
2005 5 2
2006 12 5
2007 6 2
2008 9 4
2009 11 3
2010 7 1
通算 85 22

代表での得点

# 日時 場所 相手 スコア 結果 大会
1. 1998年11月18日 ポルトガルの旗 セトゥーバル イスラエルの旗 イスラエル 2-0 2-0 親善試合
2. 2003年4月30日 オランダの旗 アイントホーフェン オランダの旗 オランダ 1-1 1-1 親善試合
3. 2003年8月20日 ポルトガルの旗 シャヴェス カザフスタンの旗 カザフスタン 1-0 1-0 親善試合
4. 2003年10月11日 ポルトガルの旗 リスボン アルバニアの旗 アルバニア 2-2 5-3 親善試合
5. 2004年10月13日 ポルトガルの旗 リスボン ロシアの旗 ロシア 5-1 7-1 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
6. 2005年9月3日 ポルトガルの旗 ファロ ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク 5-0 6-0 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
7. 2005年9月3日 ポルトガルの旗 ファロ ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク 6-0 6-0 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
8. 2006年6月3日 フランスの旗 メス ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク 0-1 0-3 親善試合
9. 2006年6月3日 フランスの旗 メス ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク 0-2 0-3 親善試合
10. 2006年6月21日 ドイツの旗 ゲルゼンキルヒェン メキシコの旗 メキシコ 2-0 2-1 2006 FIFAワールドカップ
11. 2006年11月15日 ポルトガルの旗 コインブラ カザフスタンの旗 カザフスタン 1-0 3-0 UEFA EURO 2008予選
12. 2006 年11月15日 ポルトガルの旗 コインブラ カザフスタンの旗 カザフスタン 3-0 3-0 UEFA EURO 2008予選
13. 2007年2月6日 イングランドの旗 ロンドン ブラジルの旗 ブラジル 0-1 0-2 親善試合
14. 2007年9月12日 ポルトガルの旗 リスボン セルビアの旗 セルビア 1-0 1-1 UEFA EURO 2008予選
15. 2008年5月31日 ポルトガルの旗 レイリア ジョージア (国)の旗 ジョージア 2-0 2-0 親善試合
16. 2008年8月20日 ポルトガルの旗 アヴェイロ フェロー諸島の旗 フェロー諸島 2-0 5-0 親善試合
17. 2008年9月6日 マルタの旗 タカリ マルタの旗 マルタ 0-3 0-4 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
18. 2008年11月19日 ブラジルの旗 ガマ ブラジルの旗 ブラジル 4-2 6-2 親善試合
19. 2009年10月10日 ポルトガルの旗 リスボン ハンガリーの旗 ハンガリー 1-0 3-0 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
20. 2009年10月10日 ポルトガルの旗 リスボン ハンガリーの旗 ハンガリー 3-0 3-0 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
21. 2009年10月14日 ポルトガルの旗 ギマランイス マルタの旗 マルタ 2-0 4-0 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
22. 2010年6月21日 南アフリカ共和国の旗 ケープタウン 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国 2-0 7-0 2010 FIFAワールドカップ

タイトル

クラブ

SLベンフィカ
アトレティコ・マドリード
ベシクタシュJK

代表

U-17ポルトガル代表

個人

勲章

  • Medal of Merit, Order of the Immaculate Conception of Vila Viçosa (House of Braganza)[32]

脚注

  1. ^ “Simao Pedro Fonseca Sabrosa - Goals in International Matches” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/simao-intlg.html 
  2. ^ City diary: Lisbon UEFA.com、2004年5月17日
  3. ^ a b c Player profile ESPNsoccernet
  4. ^ Sabrosa offers Barcelona ultimatum BBC Sport、2000年7月18日
  5. ^ Miccoli to lead Benfica line”. UEFA.com (2005年8月31日). 2010年1月6日閲覧。
  6. ^ Portugal – List of Champions RSSSF
  7. ^ Banská Bystrica 0 – 3 Benfica UEFA.com、2004年9月16日
  8. ^ United save their best until last”. UEFA.com (2005年9月27日). 2010年1月6日閲覧。
  9. ^ Simão sends Liverpool crashing out”. UEFA.com (2006年3月8日). 2010年1月6日閲覧。
  10. ^ Wallace, Sam (2006年1月5日). “Liverpool confident they will land £8m Simao”. London: The Independent. http://www.independent.co.uk/sport/football/premier-league/liverpool-confident-they-will-land-1638m-simao-521633.html 2010年1月6日閲覧。 
  11. ^ “Liverpool fail in move for Simao”. BBC Sport. (2005年8月31日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/l/liverpool/4200936.stm 2010年1月6日閲覧。 
  12. ^ “Sunday's gossip column”. BBC Sport. (2006年7月2日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/gossip_and_transfers/5137822.stm 2010年1月6日閲覧。 
  13. ^ “Tuesday's gossip column”. BBC Sport. (2007年4月24日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/gossip_and_transfers/6586585.stm 2010年1月6日閲覧。 
  14. ^ Comunicado” (Portuguese). CMVM (2007年7月26日). 2010年6月10日閲覧。
  15. ^ シマンがアトレティコ移籍に合意”. UEFA.com (2007年7月26日). 2009年7月11日閲覧。
  16. ^ Simão enters Atlético history by scoring goal number 4,000”. Atlético Madrid's website (2009年4月13日). 2010年1月6日閲覧。 [リンク切れ]
  17. ^ Simao Sabrosa proud to captain Atletico Madrid”. Goal.com (2009年7月21日). 2010年1月6日閲覧。
  18. ^ APOEL denied by Simão strike”. UEFA.com (2009年11月25日). 2010年1月6日閲覧。
  19. ^ Simão Sabrosa abandona el Atlético de Madrid y ficha por el Besiktas” (Spanish). Atlético Madrid (2010年12月22日). 2010年12月22日閲覧。
  20. ^ Simao Sabrosa Beşiktaş’ta” (Turkish). Besiktas JK (201012-23). 2010年12月23日閲覧。
  21. ^ 元ポルトガル代表MFシモン、インド・スーパーリーグ参入決定 footballchannel 2015年6月26日
  22. ^ Hosts hold their nerve”. UEFA.com (2004年6月24日). 2010年1月6日閲覧。
  23. ^ Portugal progress as pool winners UEFA.com、2006年6月21日
  24. ^ England – Portugal Report FIFA.com、2006年7月1日
  25. ^ Portugal ousted by German power show”. UEFA.com (2008年6月19日). 2010年1月7日閲覧。
  26. ^ Simao brace propels Portugal”. FIFA.com (2009年10月10日). 2010年1月7日閲覧。
  27. ^ Portugal winger Simao Sabrosa retires from international football”. Goal.com (2010年8月27日). 2010年8月31日閲覧。
  28. ^ IMDB profile
  29. ^ Simão Sabrosa – Como Se Faz Um Campeão DVD.pt (ポルトガル語)
  30. ^ Simão é rosto de campanha do canal HD da Sport TV” (Portuguese). SAPO.pt (2008年9月2日). 2010年1月6日閲覧。
  31. ^ Simão Sabrosa imagem FIFA 10 em Portugal” (Portuguese). EA Portugal. 2010年1月6日閲覧。
  32. ^ “Selecção distinguida pelo Duque de Bragança” (Portuguese). Cristiano Ronaldo News. (2006年8月30日). http://cristianosantosronaldo.blogspot.com/2006_08_01_archive.html 2006年8月30日閲覧。 

関連項目

外部リンク

Strategi Solo vs Squad di Free Fire: Cara Menang Mudah!