ゲッベルス夫妻最初の子どもとなったヘルガは、1932年9月1日に生まれた。ヨーゼフは長女ヘルガを誇りに思っており、オフィスから帰ってくると真っ直ぐ彼女のベッドに向かい、自分の膝に彼女を乗せるほどだった。ヘルガは「お父さんっ子」であり、母マクダよりも父ヨーゼフに懐いていた。彼女は泣いたこともなく、「青い眼を輝かせながら」("her blue eyes sparkling") ナチの役人たちの言葉へ訳も分からないながらに耳を傾けるような素晴らしい赤ん坊だったと報じられている。ドイツ人の子どもが大好きだったヒトラーが、夜遅くまで話し込みながらヘルガを自分の膝に乗せることも珍しくはなかった[6]。ヒトラーの誕生日だった1936年4月20日には、彼女が妹ヒルデと共にヒトラーへ花を贈る様子が撮影されている[11]。
1934年4月13日に生まれた次女ヒルデガルトは、「ヒルデ」"Hilde" の愛称で親しまれた。ヨーゼフは1941年の日記で、ヒルデのことを「小さなネズミ」"a little mouse" と評している[14][15]。1936年のヒトラーの誕生日には、姉ヘルガと共にヒトラーへ花を贈った様子が写真に収められた[11]。死亡時ヒルデは11歳であった[12]。
ヘルムート・クリスティアン (Helmut Christian)
1935年10月2日に生まれたヘルムートは、神経質で夢見がちなところがあると考えられていた[16]。父ヨーゼフは日記の中で、ヘルムートを指して「道化者」"clown" と書き残している[17]。ヨーゼフはランケ小学校 (the Lanke primary school) の教師からヘルムートの進級は疑わしいと報告を受けて落胆したが、ヘルムートはその後母や家庭教師の激烈な教育に応え、進級を果たしたという[16]。彼は歯列矯正を行っていた[14]。
1945年4月30日、ヘルムートは総統地下壕で負傷者の手当に当たっていた15歳の看護師ヨハナ・ルーフ (Johanna Ruf) にちょっかいを出し、平手打ちされている。ルーフは後々になるまで、この少年がゲッベルス家の息子だと知らなかったという[19]。後にヒトラーの秘書だったトラウデル・ユンゲは、子どもたちと総統地下壕にいて、ヒトラーが自殺する際の銃声を聞いたと述べている。ヘルムートはこの音を近くにあった迫撃砲のものと勘違いし、「的に命中だ!」("That was a bullseye!") と叫んでいた。殺害の時、ヘルムートは9歳であった[12]。
ホルディーネ・カトリーン (Holdine Kathrin)
三女ホルディーネは1937年2月19日に生まれた。「ホルデ」(Holde) という愛称で呼ばれていたが、これは彼女を取り上げた医師のシュテッケル (Stoeckel) が「なんと可愛らしい!」("Das ist eine Holde!") と叫んだためである[20]。マイスナーはホルデについて、子どもたちの中で「最もおとなしく」("least lively") 、他のきょうだいに「押しのけられた」("pushed aside") ところがあって多少なりとも悩みの種だったようだと述べている[21]。父ヨーゼフはこれに対し、ホルデを自身のお気に入りにし、ホルデの側もこの献身に応えた[21]。亡くなった時彼女は8歳であった[12]。
侵攻してきたソビエトの赤軍が残虐行為や強姦(英語版)に及んでいるという噂がベルリンを駆け巡り、総統地下壕の中ではソビエトによる辱めや罰から逃れるための自決が盛んに話し合われるようになった。ヨーゼフはヒトラーの遺言(英語版)に追伸を追加し、ベルリンを脱出せよという命令には従わず、「人間性と個人的忠誠心のために」("For reasons of humanity and personal loyalty") この場所に留まることを宣言した[39]。さらに、妻マクダと子どもたちも、ベルリン脱出を拒み、地下壕での死を決心したヨーゼフを支援した。彼は後に、子どもたちが自分の考えを口に出せるほど成長していれば、自決の決心を支持してくれるだろうと述べている[39]。パイロットのハンナ・ライチュ(4月29日に地下壕を脱出)と秘書のトラウデル・ユンゲ(5月1日脱出)が、地下壕に留まった人々から外界の人々への手紙を運ぶことになった。この中には、マクダが連合国側の捕虜収容所にいたハラルトへ宛てた手紙も含まれていた[37]。ハラルトはこの時ベンガジで捕らえられていた[8][9]。
マクダは、アルベルト・シュペーアなど周囲から子どもをベルリンの外へ逃がすよう薦められても頑として聞き入れなかった。子どもたちは差し迫る危険に気付いていないようだったが、長女のヘルガだけが、大人たちが戦争の成り行きについて彼女に嘘をついていることに気付いているようで、彼らに何が起こっているのか聞いてきたという[34]。ミシュは生存している子どもたちを目撃した最後の人物のひとりであった。ミシュの仕事場にあったひとつの机を囲むように座った子どもたちは、全員ナイトガウン(英語版)を着て寝支度をしているようで、母マクダは彼らの髪をとかしてキスをしていた。末娘のハイデはテーブルによじ登っていた。ミシュがきょうだいの中で最も素晴らしいと讃えていたヘルガは、最後の夜を前に「さめざめと泣いていて」("crying softly") 憂鬱そうな表情だった。ミシュはヘルガが母親をほとんど好いていないようだと感じた。マクダはフォアブンカーへ繋がる階段へとヘルガをせき立てた。扁桃炎で首にスカーフを巻いていた4歳のハイデは、振り返ってミシュを見てくすくす笑い、母や上のきょうだいが上階から呼ぶ直前に、からかうように「ミシュ、ミシュ、お前は魚だよ」"Misch, Misch, du bist ein Fisch." と話した。ミシュは後に、何が起ころうとしているのか疑問に思ったこと、引き止めなかったことをいつまでも後悔していることを明かしている[49]。翌日ソビエト軍が地下壕へ侵入した際、寝間着姿の子どもたちの遺体は(娘たちは髪にリボンを付けていた)、彼らが殺された2段ベッドの中で見つかった。ソビエトが行ったヘルガの検死では、「複数の黒・青痣」("several black and blue bruises") が記録されており、ヘルガが起きていて殺害者に抵抗したことが示唆されている[50]。検死写真では、顔がひどく痣だらけだったことから、口にシアン化物のカプセルが挿入される際に、ヘルガが抵抗してできたものだろうと推測されている[13][34]。ヘルガは顎が破壊されているほどだった[51]。
余波
1945年5月3日、イワン・クリメンコ中佐 (Lt. Col. Ivan Klimenko) 率いるソビエト軍は、中庭で焼かれたゲッベルス夫妻の遺体、地下のフォアブンカーで寝間着姿の子どもたちを見つけた[52]。海軍中将ハンス=エーリヒ・フォス(英語版)が面通しのために総統官邸の庭に連れて来られたほか、ヨーゼフの宣伝省の最高幹部のひとりであったハンス・フリッチェも遺体確認をさせられた。彼らの遺体はソビエトの医師による検死・死因審問のためベルリンのブッハウ墓地 (the Buchau Cemetery) に運ばれた。何度も試みたにもかかわらず、子どもたちの祖母に当たるアウグステ・ベーレント(マクダの母親)ですら、遺体に何がされたのか知ることはなかった。その後、ゲッベルス一家、ヒトラー、エーファ・ブラウン、ハンス・クレープス、ヒトラーの飼い犬ブロンディの遺体は、繰り返し埋めたり掘り起こされたりされた[53]。最後の埋葬は、マクデブルクにあったスメルシの施設内で1946年2月21日のことだった。1970年、KGBの議長だったユーリ・アンドロポフの指示により、遺体は破壊された[54]。1970年4月4日、KGBのチームは詳細な埋葬図を用いて、マクデブルクのスメルシの施設で5つの木箱を掘り出した。箱に収められていた遺体は燃やして破壊され、エルベ川の支流であるビーデリッツ川 (Biederitz) に散骨された[55]。
2005年のドキュメンタリー "The Goebbels Experiment" は、ルッツ・ハッハマイスター(英語版)監督・ケネス・ブラナーナレーションで制作され、映画の最初と最後にアーカイブ映像が流される[63]。2010年にエマ・クレイギー (Emma Craige) が発表した歴史改変SF "Chocolate Cake with Hitler" では、ヘルガの目を通して地下壕で過ごした子どもたちの最後の日々が綴られる[64][65]。ユゼフ・ヘン(英語版)による2011年の小説 "Szóste najmłodsze"(「6番目、最も年下の」の意味)では、末娘ハイデがベルリンの通りで生きて見つかったという物語である。同じ年にトレイシー・ローゼンバーグ (Tracey Rosenberg) が発表したヤングアダルト向けの歴史改変SF "The Girl in the Bunker" は、ヘルガを主人公に子どもたちが地下壕で過ごした最後の日々が描かれる[66][67]。
^Harding, Luke (2005年5月2日). “Interview: Erna Flegel”. ガーディアン. 2019年8月16日閲覧。 “Guardian: What were the Goebbels children like? / Flegel: The Goebbels children were charming. Each one of them was absolutely delightful. That she (Magda Goebbels) killed them cannot be forgiven.”
Meissner, Hans-Otto (1980) [1978]. Magda Goebbels: The First Lady of the Third Reich. New York: The Dial Press. ISBN978-0803762121
Misch, Rochus (2014) [2008]. Hitler's Last Witness: The Memoirs of Hitler's Bodyguard. London: Frontline Books-Skyhorse Publishing, Inc. ISBN978-1848327498