ケビン・タワーズ

ケビン・タワーズ
Kevin Towers
サンディエゴ・パドレスでのGM時代
(2007年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オレゴン州ジャクソン郡メドフォード
生年月日 (1961-11-11) 1961年11月11日
没年月日 (2018-01-30) 2018年1月30日(56歳没)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1982年 6月MLB二次ドラフト1巡目
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ケビン・スコット・タワーズKevin Scott Towers, 1961年11月11日 - 2018年1月30日)は、アメリカ合衆国オレゴン州ジャクソン郡メドフォード出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。引退後は、MLBサンディエゴ・パドレスアリゾナ・ダイヤモンドバックスの2球団でゼネラルマネージャー(GM)を務めた。

経歴

プロ入り前

ミラコスタ・カレッジ英語版在学時の1981年MLBドラフト13巡目(全体323位)でアトランタ・ブレーブスから指名されたが、この時は契約しなかった。

現役時代

ブリガムヤング大学へ転校後の1982年6月、MLB二次ドラフト1巡目(全体1位)でサンディエゴ・パドレスから指名され、プロ入り。現役時代は1988年にAAA級まで到達したのが最高クラスで、メジャー経験は無いまま、1989年に引退した。

引退後

引退年の1989年から2年間はパドレス傘下(当時)のA-級スポケーン・インディアンス英語版で投手コーチを務めた。また、並行して1989年から1991年まではパドレス、1991年から1993年まではピッツバーグ・パイレーツのスカウトとして活動した。1993年からはスカウトディレクターとしてパドレスへ復帰し、1995年にはGMへ就任した。2009年10月までのパドレスGM在任中で4度の地区優勝と1998年ワールドシリーズ進出へ導いた。

2010年のシーズン中はニューヨーク・ヤンキースの特任スカウトを務めた。9月にはアリゾナ・ダイヤモンドバックスのGMへの就任が発表された。ダイヤモンドバックスでは2011年に地区優勝を果たし、2014年まで務めた。

2015年にはシンシナティ・レッズのスカウト兼GM特別補佐を務めた。2016年からは甲状腺癌を患い[1]2018年1月30日に死去したことが報じられた[2]。この年はパドレスの球団殿堂入りを果たし、5月12日にはタワーズとその功績を讃えるセレモニーがペトコ・パークで催された[3]

GMとしての特徴

自身が投手だったのとコーチ経験もあるためか選手の見極めは野手よりも投手の方が得意だと自ら認めており、特にブルペン編成の巧さを評価されていた。オールドスクール派であり、チームの和や闘争心を重視するタイプであった[4][5]

脚注

  1. ^ Greg Rajan (2017年10月29日). “Astros manager A.J. Hinch stands up for friend Kevin Towers” (英語). Houston Chronicle. 2021年9月25日閲覧。
  2. ^ Zachary Ripple (2017年1月30日). “Former Padres, Diamondbacks GM Kevin Towers dies of cancer at age 56” (英語). New York Daily News. 2021年9月25日閲覧。
  3. ^ AJ Cassavell (2018年5月12日). “Late GM Towers enters Padres Hall of Fame” (英語). MLB.com. 2021年9月25日閲覧。
  4. ^ 「アリゾナ・ダイヤモンドバックス」『2013MLB選手名鑑全30球団コンプリートガイド』 日本スポーツ企画出版社 113頁
  5. ^ 「アリゾナ・ダイヤモンドバックス」『2014MLB選手名鑑全30球団コンプリートガイド』 日本スポーツ企画出版社 113頁

外部リンク

Strategi Solo vs Squad di Free Fire: Cara Menang Mudah!