カラムシ
カラムシ(東京都町田市・2005年9月)
分類
学名
Boehmeria nivea var. nipononivea
和名
カラムシ
英名
Ramie
カラムシ (苧 、枲、苎、学名:Boehmeria nivea var. nipononivea )は、イラクサ目イラクサ科 の多年生植物 。南アジア から日本 を含む東アジア 地域まで広く分布し、古くから植物繊維 をとるために栽培されたため、文献上の別名が多く、紵 (お)、苧麻 (ちょま)、青苧 (あおそ)、山紵 (やまお)、真麻 (まお)、苧麻 (まお)などがある。
また、カツホウ、シラノ、シロソ、ソロハ、シロホ、ヒウジ、コロモグサ、カラソともいう[1] 。古代 日本においては「ヲ」という表記もある。
特徴
茎はまっすぐに立つか、やや斜めに伸びて高さ1-1.5mに達する。葉 の大きさは最大15cmほどで、縁に細かい鋸歯(ギザギザ)があり、つやがない。若葉は細かいしわがあり縮んだ状態である。葉の裏側は細かい綿毛が密生していて白く、ふとしたことで葉が裏返ると白く目立つ。葉は茎に互生し、根元に近い葉ほど大きく、葉柄も長くなる。
花 は8月-10月にかけて咲き、葉柄の根もとに小さな花が房状につく。雄花と雌花があるが雌雄同株で、雌花が株の上のほうにつく。風によって花粉 を運ぶ風媒花 で、鮮やかな花びらもなくあまり目立たないが、カラムシが多い地域では花粉症 の原因ともなる。
林の周辺や道端、石垣 などのやや湿った地面を好む。地下茎 を伸ばしながら繁茂するので群落 を作ることが多い。刈り取りにも強く、地下茎を取り除かなければすぐに生えてくる。地上部の高さは1mほどだが、半日陰で刈り取りがない環境では秋 までに高さ2mに達し、株の根元付近が木化(木質化)する。地上部は寒さに弱く、霜 が降りると葉を黒褐色にしおれさせ枯れてしまうが、地下茎は生き残って翌春には再び群落を形成する。細い茎は葉と共に枯れてしまうが、太い茎は冬を乗り越え、春に新芽を吹く。
変異
日本本土ではカラムシが普通だが、変異が多い。和名をカラムシとするものを独立種とする扱いもあり[2] 、その場合の学名は B. nipononivea Koidz. である。しかし、日本本土産のものは真の自生ではなく、栽培逸出の可能性も示唆されており、現在ではナンバンカラムシの変種とする扱いが普通である。葉の裏面が緑色のものがあり、これをアオカラムシ Forma concolor (Makino) Kitam. という。沖縄では葉の裏面が白いが棉毛がないものが多く、これにノカラムシ B. nivea var. viridula (Yamamoto) Hatsusima の名が与えられている[3] が、現在はこれを認めているところを見ない。
原名亜種のナンバンカラムシ B. nivea var. nivea は葉や葉柄に粗い毛があり、また茎はより木質化して高く伸びる。熱帯アジア原産で沖縄には普通に見られるが、これも持ち込まれた可能性が示唆される。
同様に繊維をとるために栽培される、さらに大きいラミー (Ramie 、学名:B. nivea var. candicans )もこの種に含まれる。
なお、北村・村田(1961)はカラムシをマオとともにナンバンカラムシの別名としており、カラムシの和名にはクサマオを当てている。
利用
カラムシ畑 福島県昭和村
今でこそしつこい雑草 として嫌われる場合もあるが、茎の皮から採れる靭皮繊維 は麻などと同じく非常に丈夫である。績 ( う ) んで取り出した繊維を、紡いで糸 とするほかに、糾綯 ( あざな ) って紐や縄にし、また荒く組んで網や漁網 に用い、経 ( たていと ) と緯 ( よこいと ) を機 ( お ) って布にすれば衣類 や紙 としても幅広く利用できる。分布域では自生種のほかに、6000年前からヒトの手により栽培されてきた。
栽培種のラミーは、中国 をはじめ、ブラジル 、フィリピン 、インドネシア 等で栽培されている。中国では年3-4回、フィリピンでは5-6回の収穫が可能である[4] 。
日本における利用
歴史
日本において現在自生しているカラムシは、有史以前から繊維用に栽培されてきたものが野生化した史前帰化植物 であった可能性が指摘されている[5] 。古代日本では朝廷や豪族が部民 (専門の職業集団)として糸を作るための麻績部 (おみべ)、布を織るための機織部 (はとりべ、はとり、服部 )を置いていたことが見え、『日本書紀 』持統天皇 7年(693年 )条によれば、天皇が詔 を発して役人が民 に栽培を奨励すべき草木の一つとして「紵(カラムシ)」が挙げられている。
中世の越後国 は日本一のカラムシの産地だったため、越後上杉氏は衣類の原料として青苧座 を通じて京都 などに積極的に売り出し、莫大な利益を上げた。新潟県 の魚沼地方 で江戸時代 から織られていた伝統的な織物 、越後縮 はこれで織られていた。また上杉氏 の転封 先であった出羽国 米沢藩 では藩 の収入 源のひとつであった。このため、カラムシの専売 化をめぐり、宝暦 10年(1760年)の『青苧騒動』や文化 4年(1807年 )の『青苧一件』が起こる。なお、置賜地方 産のカラムシを「米沢苧」という。この他、江戸時代 の北日本での有名な産地に陸奥国 会津 や出羽国最上地方 があった。
一方、南方では薩摩藩 がカラムシの生産や上布の製織を奨励したため、薩摩藩(鹿児島県 )や琉球王国 (沖縄県 )では古くから栽培や加工が発達した[5] 。
現状
本州 では、福島県 会津 地方の昭和村 が唯一の産地であり、国の重要無形文化財 に指定されている「小千谷縮 ・越後上布 」の原料とされている。
沖縄県宮古島市 の宮古島 では、苧麻の栽培から、手績み等を経て、宮古上布 の織布までの行程が一貫して行われている[6] [7] [8] 。
また、こどもの文化 として、葉を服 にくっつける遊びや、片手に葉を乗せて強く叩き、破裂音とともに葉を破く遊びがある。
集まる昆虫
アカタテハの幼虫の巣(画像中央)。カラムシ群落の中で綴じられた葉が白く目立つ
カラムシを食草 とし、集まる昆虫類 には以下のようなものがいる。これらはカラムシが繁茂する夏から秋にかけてよく見られる。
アカタテハ Vanessa indica
タテハチョウ 科のチョウ の一種。幼虫 は全身が黒く、とげがあるケムシ である。幼虫はカラムシの葉の付け根をかじり、葉の左右を糸で綴じて二つ折りにした巣 を作り、その中にひそむ。
フクラスズメ Arcte coerulea
ヤガ 科のガ の一種。幼虫は細長いケムシ で、7cmほどにもなる。頭が橙色か黒色、体側に黒い線、背中に白黒の横しま模様がある。幼虫は危険を感じると頭部を反らせ、緑の液体を吐き出しながら頭部を激しく横に振る。毒を持たないが皮膚によっては毛によってかゆみなどのアレルギー反応を起こす場合がある。たまに大発生し、カラムシ群落の葉を食い尽くした上で地上を徘徊することがあり、嫌われる。
ラミーカミキリ Paraglenea fortunei
カミキリムシ の一種。幼虫は茎の中で成長し、大きくなると地下茎にまで食い込む。成虫は5月-8月に発生し、カラムシ群落の周囲で活動し、葉脈を葉の裏から齧って食べる。8mm-17mmほどの小型のカミキリムシだが、青白色と黒に色分けされた鮮やかな体色でよく目立つ。日本には明治 以降に栽培種のラミーとともに入ってきた外来種 と考えられており、日本での分布は西日本 が中心だったが、近年は関東地方にも定着、ごく一般的に見られる種となっている。
脚注
^ マオからカラソまでは後藤捷一「庶民の染織」101頁による。日本常民文化研究所・編『日本の民具』角川書店、1958年 所収。
^ 佐竹義輔・大井次三郎・北村四郎他『日本の野生植物 草本II 離弁花類』(平凡社、1982年)
^ 初島住彦『琉球植物誌(追加・訂正版)』(沖縄生物教育研究会、1975年)
^ “ラミー(苧麻)について ”. 日本麻紡績協会. 2019年12月20日 閲覧。
^ a b “日本におけるラミー生産の沿革について ”. 日本麻紡績協会. 2019年12月20日 閲覧。
^ “宮古上布とは ”. 宮古織物事業協同組合. 2019年12月20日 閲覧。
^ 苧麻糸手績み - 文化遺産オンライン (文化庁 )
^ 苧麻糸手績み - 国指定文化財等データベース(文化庁 )
参考文献
佐竹義輔 ・大井次三郎 ・北村四郎 他 『日本の野生植物 草本II 離弁花類』 平凡社、1982年。
北村四郎・村田源 『原色日本植物図鑑・草本編II』 保育社、1961年。
初島住彦 『琉球植物誌(追加・訂正版)』 沖縄生物教育研究会、1975年。
児玉彰三郎 「小千谷縮布生産における青苧の流通について―青苧問屋の経営を中心に―」(『地方史研究』75号、1965年)。
関連項目