ウール県(Eure (フランス語発音: [œʁ]))は、フランスのノルマンディー地域圏の県である。かつてのノルマンディー州廃止後に誕生した5県のうちの1つである。
名称は県内を流れ最後にセーヌ川に合流するウール川に由来する。
ウール県はオート=ノルマンディー地域圏の南部にある。セーヌ=マリティーム県、オワーズ県、ヴァル=ドワーズ県、イヴリーヌ県、ウール=エ=ロワール県、オルヌ県、カルヴァドス県と接している。
県の平均標高は150mである。ウール県は、多かれ少なかれ深い谷で区切られた台地からなる。県には13の自然区分上の地方がある。ペイ・ド・リヨン、ヴェクサン・ノルマン、ヴェクサン・ボシュ、ヴァレ・ド・ラ・セーヌ、プラトー・ド・マドリー、カンパーニュ・ド・サンタンドレ、プラトー・デュ・ヌブール、ペイ・ドゥシュ、ルモワ、リューヴァン、マレ・ヴェルニエ、ペイ・ドージュ、そしてわずかにペルシュである。
4つの代表される景観はウール県で明確に区別されている。セーヌ川谷を意味するヴァレ・ド・ラ・セーヌである。オート=ノルマンディー地域圏の長軸であるセーヌ川谷は、ウール県北東部を横切り、北西においてはセーヌ=マリティーム県との境界となっている。
植林の比率は23%あり、旧ノルマンディーの各県で最も森林が多い。森林は主に谷やその周辺に多く、県面積のうち132 775ヘクタールを覆っている。森林の85%が広葉樹で、15%が針葉樹である[1]。
1790年3月4日、エヴルー県(Département d'Évreux)の名で新設された[2]。最初県庁が置かれたエヴルーは1793年にその座をベルネーに譲ったが、のちにエヴルーに県庁が復活した[3]。
1790年、エヴルー、レ=ザンドリ、ベルネー、ルーヴィエ、ポントードメール、ヴェルメイユの6郡が置かれた。1800年にはヴェルメイユ郡が廃され、1926年にはポントードメール郡とルーヴィエ郡が廃された。
1815年6月、ワーテルローの戦いで第七次対仏大同盟軍が勝利すると、県はプロイセン軍に1818年11月まで占領されていた。ナポレオン3世による1851年12月2日クーデターの後、ウール県は大規模暴動に対処するため包囲下に置かれた県の1つであった。100人弱が逮捕された[4]。
農業は県面積の3 850 km2を占める重要な産業である。そのうち3 080 km2が穀物、油糧種子、およびたんぱく質作物の生産である。742 km2は恒久的に草原となっている。残りは果樹園や植物種苗場である。
県には675のコミューンがあり、人口が5000人を越えるのは2007年時点で11である。また、103のコミューンは、名称にキリスト教の聖人にちなんだSaintまたはSainteが付いている。
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