アレクサンドル・ラカゼット(Alexandre Lacazette、フランス語発音: [alɛksɑ̃dʁ lakazɛt]、 1991年5月28日 - )は、フランス・リヨン出身のサッカー選手。リーグ・アン・オリンピック・リヨン所属。ポジションはFW。元フランス代表。日本においてはラカゼトともよばれる。
クラブ経歴
リヨン
2003年にオリンピック・リヨンの下部組織に入団する。2010年5月3日、AJオセール戦でプロデビューを果たした。10月31日、FCソショー戦でプロ初ゴールを記録した。2014-15シーズンには27得点で、リーグアン得点王、リーグアン最優秀選手賞に輝いた[2][3]。2016年10月のトゥールーズ戦で2得点、リヨンでの100ゴールを記録した(ジュニーニョ・ペルナンブカーノ越えの101点目も記録。)[4]。2017年5月20日リーグ最終戦、ニース戦で2ゴールを決め、リーグ戦100ゴールを達成した。2016-17シーズンは30試合28得点を記録、リーグアンの得点王争いでカバーニに次いで第2位となった。
アーセナル
2017年7月5日、プレミアリーグのアーセナルFCへ移籍することが発表された[5]。移籍金はクラブ史上最高額の6500万ポンド。8月11日、レスター・シティFCとのプレミアリーグ開幕戦にスタメン出場。プレミアリーグのデビューを飾ると、試合開始わずか94秒で先制点を奪った。これはプレミアリーグのオープニングゲームで最速の得点である[6]。以降AFCボーンマスとの対戦、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCとの対戦でも得点を奪い、リーグ戦のホームゲームでは3試合連続得点を奪った[7]。またマンチェスター・シティ戦でシーズン6点目目、マンチェスター・ユナイテッド戦では8点目のゴールを決めたが、アーセナルはいずれも敗戦した[8][9]。以降数試合無得点の期間が有ったが、最終的に14ゴールを決める結果となった。
最終節を前に18ゴール12アシストの活躍から2018-19シーズンのクラブ年間最優秀選手に選ばれた[10][11]。
2019-20シーズン、ホーム開幕戦のバーンリー戦で早くもシーズン初ゴールを決めると[12]、第3節のトッテナム戦でもゴールを決める好調なスタートを切った[13]。
2020年12月29日、プレミアリーグのブライトン戦で途中出場からわずか29秒で決勝点となるゴールを決めてチームを勝利に導いた[14]。この途中出場から29秒でのゴールは、記録を取り始めた2006-2007シーズンからでアーセナルの選手として最速の記録であった。
2021年8月14日、21-22シーズン開幕戦であるブレントフォードとの試合を欠場した。後に新型コロナウィルス検査で陽性であったことが欠場理由であると公式発表された[15]。2021年12月11日、プレミアリーグのサウサンプトン戦において相手にプレスを掛けられながらもGKのラムズデールから始まり7人がテンポよくパスを繋いで最後はサカのグラウンダークロスにラカゼットがダイレクトで合わせて決めたゴールが12月のプレミア月間最優秀ゴールに選出された[16]。2022年2月9日、ミケル・アルテタ監督は記者会見において前年12月よりピエール=エメリク・オーバメヤンが規律違反でキャプテン剥奪処分を受けてから不在だったキャプテンをシーズン終了までラカゼットが務めることを明かした[17]。同年6月3日、アーセナルは6月30日までの契約を延長せずラカゼットがフリーで退団することを公式発表した[18]アーセナルでの通算成績は206試合71ゴール36アシスト[19]。
リヨン復帰
2022年6月9日、オリンピック・リヨンはラカゼットの復帰を発表[20]。2025年までの3年間の契約。10番を背負っており、キャプテンを務めている。2022-23シーズンのリーグ戦では27得点を記録したが、2点差でキリアン・エムバペとの得点王争いに敗れた。
代表経歴
2008年のUEFA U-17欧州選手権に出場し準優勝した。2010年自国開催のUEFA U-19欧州選手権では優勝した。またFIFA U-20ワールドカップでは5ゴールを挙げチームを4位に導き、自身もブロンズシューズを獲得した。
2013年5月、負傷離脱したジェレミー・メネスの代役としてA代表に初招集され、2013年6月5日のウルグアイとの親善試合で代表デビュー。
2015年3月28日のデンマークとの親善試合で代表初得点を挙げた。2017年11月15日は、背番号10を背負ってドイツ相手に2点を取った。
2018年のワールドカップではスタンバイメンバーには選出されたが、大会参加は叶わなかった[21][22]。
2024年、パリオリンピックにはオーバーエイジ枠で召集され、主将に任命された。チームは決勝に進出したが、スペインに敗れて銀メダルを獲得するに留まった[23]。
人物
幼少期はGKをしていたが、母親に危険と言われ、サッカーをやめるかポジションの変更をするか選択させられ、ストライカーとしてプレーするようになった[24]。2020年5月16日、ラカゼットが新型コロナの影響によるロックダウン期間中に笑気ガスと呼ばれる亜酸化窒素を吸引していたと写真付きで報道された[25]。インターネット上には友人に送ったとされる吸引中の動画も流出。これを受けてアーセナルは真摯に受け止め内々に処分を検討すると発表した。
個人成績
クラブ
|
シーズン
|
リーグ
|
リーグ戦
|
カップ戦
|
リーグ杯
|
国際大会
|
その他
|
合計
|
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点
|
リヨン
|
2009–10
|
リーグ・アン
|
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
0
|
1
|
0
|
2010–11
|
9 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
1 |
0
|
0
|
11
|
2
|
2011–12
|
29 |
5 |
4 |
2 |
4 |
2 |
6 |
1 |
0
|
0
|
43
|
10
|
2012-13
|
31 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
5 |
1 |
1 |
0
|
37
|
4
|
2013-14
|
36 |
15 |
2 |
2 |
4 |
3 |
12 |
2 |
0
|
0
|
54
|
22
|
2014-15
|
33 |
27 |
2 |
2 |
1 |
1 |
4 |
1 |
0
|
0
|
40
|
31
|
2015-16
|
34 |
21 |
2 |
0 |
1 |
0 |
6 |
2 |
1 |
0
|
44
|
23
|
2016-17
|
30 |
28 |
1 |
1 |
1 |
1 |
12 |
7 |
1 |
0
|
45
|
37
|
通算 |
203 |
100 |
11 |
7 |
11 |
7 |
47 |
15 |
3 |
0 |
275 |
129
|
アーセナル
|
2017–18
|
プレミアリーグ
|
32 |
14 |
0 |
0 |
2 |
0 |
4 |
3 |
1 |
0
|
39
|
17
|
2018-19
|
35 |
13 |
2 |
0 |
2 |
1 |
10 |
5 |
0
|
0
|
49
|
19
|
2019-20
|
30 |
10 |
4 |
0 |
0 |
0 |
5 |
2 |
0
|
0 |
39
|
12
|
2020-21
|
31 |
13 |
2 |
0 |
2 |
1 |
8 |
3 |
0 |
0 |
43
|
17
|
2021-22
|
30 |
4 |
1 |
0 |
5 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
36
|
6
|
通算 |
158 |
54 |
9 |
0 |
11 |
4 |
27 |
13 |
1 |
0 |
206 |
71
|
総通算
|
361 |
154 |
20 |
7 |
22 |
11 |
74 |
28 |
4 |
0
|
481
|
200
|
タイトル
- クラブ
- オリンピック・リヨン
- アーセナルFC
- 代表
- 個人
代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 16試合 3得点(2013年 -2017年)
フランス代表 | 国際Aマッチ |
年 | 出場 | 得点 |
2013 |
2 |
0
|
2014 |
3 |
0
|
2015 |
5 |
1
|
2016 |
0 |
0
|
2017 |
6 |
2
|
通算 |
16 |
3
|
代表での得点
脚注
外部リンク
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1930年代 | |
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1940年代 |
- 1940-41 WWIIのため中断
- 1941-42 WWIIのため中断
- 1942-43 WWIIのため中断
- 1943-44 WWIIのため中断
- 1944-45 WWIIのため中断
- 1945-46 ビエル
- 1946-47 シニバルディ
- 1947-48 バラテ
- 1948-49 バラテ / フンパール
- 1949-50 グルメロン
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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MVP - 得点王 - GK賞 - 若手選手賞 - 監督賞 |