「てぃんさぐぬ花」(てぃんさぐぬはな)は、沖縄本島を中心に伝わる沖縄民謡の1曲である。表題は文献により「てぃんさぐの花」「てんさぐの花」「ちんさぐの花」「てんさごの花」と紹介される場合もある。
概要
「てぃんさぐ」はホウセンカ(鳳仙花)のことで、沖縄県では古くからホウセンカの汁を爪に塗って染めるとマジムン(悪霊)除けの効果があると信じられていた[1]。1番から10番まであり、親や年長者の教えに従うことの重要性を説く教訓歌となっている。
1972年(昭和47年)の沖縄返還以前、1966年(昭和41年)に「てんさぐの花」のタイトルでNHK『みんなのうた』8-9月放送曲として山本直純編曲、中村浩子と杉並児童合唱団の歌唱で放送された。同番組で沖縄民謡が放送されたのは初である。放送後、1970年(昭和45年)に刊行された西崎嘉太郎/日本青少年音楽教育センター監修『日本うたの地図』(しなの出版)ではこの時点で未制定だった都道府県民歌に代えて本曲が「てんさぐの花」の表題で「沖縄を代表する曲」として掲載されている[2]。
2003年(平成15年)に開業した沖縄都市モノレール線(ゆいレール)では車内アナウンスで県庁前駅への到着を知らせるメロディに本曲が使用されている。また、2015年(平成27年)3月22日からはJR西日本大阪環状線の大正駅で、沖縄文化色の濃いまちのイメージにちなんで本曲が発車メロディに使用されている[3]。
県民愛唱歌への指定
沖縄は1972年5月15日にアメリカ合衆国の施政権下から日本へ返還され、日本の都道府県としての沖縄県が28年ぶりに再置された。同日には「沖縄県民の歌」が沖縄県章と合わせて制定されたが、県では2012年(平成24年)の復帰40周年を前に新しい県民愛唱歌「うちなぁかなさうた」の制定を検討していることが2011年(平成23年)の秋に報じられた[4]。新規の愛唱歌を制作するか、伝統的に愛唱されて来た曲を指定するかの二通りの案が並行して議論された結果、県民を対象にしたアンケートで「てぃんさぐぬ花」が圧倒的な支持を集めたため新規の愛唱歌制作は見送られ、「てぃんさぐぬ花」を県民愛唱歌「うちなぁかなさうた」に指定することが2012年3月18日に発表された[5]。
歌詞
作詞・作曲者不明。歌詞には地域や採録された時期により様々なバリエーションがあるが、ここでは代表的なものを掲載する。
琉球語
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日本語(訳)
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一、
- てぃんさぐぬ花や
- 爪先に染みてぃ
- 親ぬ寄し事や
- 肝に染みり
二、
- 天ぬ群り星や
- 読みば読まりしが
- 親ぬ寄し事や
- 読みやならぬ
三、
- 夜走らす船や
- 子ぬ方星目当てぃ
- 我ん生ちぇる親や
- 我んどぅ目当てぃ
四、
- 宝玉やてぃん
- 磨かにば錆す
- 朝夕肝磨ち
- 浮世渡ら
五、
- 誠する人や
- 後や何時迄ん
- 思事ん叶てぃ
- 千代ぬ栄
六、
- なしば何事ん
- なゆる事やしが
- なさぬ故からどぅ
- ならぬ定み
七、
- 行ち足らん事や
- 一人足れー足れー
- 互に補てぃどぅ
- 年や寄ゆる
八、
- あてぃん喜ぶな
- 失てぃん泣くな
- 人ぬよしあしや
- 後どぅ知ゆる
九、
- 栄てぃゆく中に
- 慎しまななゆみ
- ゆかるふどぅ稲や
- あぶし枕
十、
- 朝夕寄し事や
- 他所の上も見ちょてぃ
- 老いのい言葉の
- 余いとぅ思な
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一、
- ホウセンカの花は
- 爪先に染めて
- 親の教訓は
- 心に染みなさい
二、
- 天上に群れる星は
- 数えれば数え切れても
- 親の教訓は
- 数え切れないものだ
三、
- 夜に走らせる船は
- 北極星を見つけ
- 私を生んだ親は
- 私をこそ見つける
四、
- 宝玉であっても
- 磨かなければ錆びる
- 朝夕と心を磨いて
- 浮世を渡ろう
五、
- 正直な人は
- 後々のいつまでも
- 希望は叶えられ
- 末永く栄える
六、
- 何事も為せば
- 成るものだが
- 為さぬせいだからこそ
- 成らないだろう
七、
- 行き届かないことは
- 互いに助け合って
- 互いに補い合ってこそ
- 歳をとる
八、
- 有っても喜ぶな
- 失っても嘆くな
- 人の善し悪しは
- 後々にこそわかる
九、
- 栄えていく時に
- 謙虚さを忘れてはならない
- よく実るほど稲穂は(垂れて)
- あぜ道を枕にするように
十、
- 老人の朝夕の言には
- 真摯に耳を傾けなさい
- 老い先短い者の与太話などと
- 侮るべきではない
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歌唱
他多数。
脚注
外部リンク