いわしげ 孝(いわしげ たかし、1954年〈昭和29年〉12月31日[1] - 2013年〈平成25年〉3月6日[2])は、日本の漫画家。鹿児島県鹿児島市出身[1]。鹿児島県立鹿児島工業高等学校[3]を経て二松學舍大学卒。血液型AB型[1]。デビューから十数年は本名の岩重 孝(読みは同じ)で活動していた[1]。
概要
高校時代の1970年(昭和45年)に『週刊少年ジャンプ』(集英社)の第5回新人漫画賞で「小さな命」が入選、審査員である本宮ひろ志から「彼の作品は生命が感じられるね」と評価された。この作品が翌1971年の同誌正月号に掲載され、デビューを果たす。
当時のいわしげは意欲的に漫画を描いており、同じ年に「スクラップ」も同誌の上期手塚賞で佳作に選ばれたほか、続く下期手塚賞でも「ブルースを歌う少女」が佳作に選ばれている。ただ、当時まだ高校生だったいわしげは、絵柄の荒々しさなど漫画の技術に未熟さを感じていたという。以降しばらくは学業に専念する。
高校卒業後、大学入学のために上京、書店でアルバイトをする傍ら漫画を描いた。
大学卒業後、『ビッグコミック』(小学館)に投稿を開始する。1978年に「忘れ雪」が第2回小学館新人コミック大賞で入選し、本格的にデビューする[1]。
1980年(昭和55年)の梅雨時に、『ビッグコミック』の縁ではるき悦巳と知り合い、そのアシスタントとなる[4]。同期にさかもと瓢作(坂本瓢作)がおり、はるきの作品である『じゃりン子チエ』の補助作業もさかもとと共に行った。並行していわしげは『ぼっけもん』を『ビッグコミックスピリッツ』で連載し、同作は1986年(昭和61年)に第31回小学館漫画賞に選ばれている。
1988年(昭和63年)から『ビッグコミックスピリッツ』にて『ジパング少年』を連載、同時にペンネームを本名の岩重孝からいわしげ孝に変更した。
以降は『週刊ヤングサンデー』『ビッグコミックスペリオール』(共に小学館)に移り、『花マル伝』などを連載した。その後『モーニング』(講談社)での『まっすぐな道でさみしい』の連載などを経て、『ビッグコミック』にて『単身花日』を2006年から2008年4月まで連載、同年のうちに引き続き同誌にて『上京花日』の連載を開始した。
2013年3月6日、病気のために死去した[2][5]。58歳没。遺作となった『上京花日』は、2010年より病気療養に入って休載し、2011年秋にいったん再開したものの、未完のまま2012年2月25日号掲載分が絶筆となった[2]。
作品リスト
- 岩重孝名義
- いわしげ孝名義
脚注
出典
- ^ a b c d e 『Fusion Product 創刊号』ふゅーじょんぷろだくと、1981年7月。pp. 140-141。
- ^ a b c “「上京花日」のいわしげ孝が逝去、58歳”. コミックナタリー. ナターシャ (2013年3月22日). 2023年9月5日閲覧。
- ^ “いわしげ孝”. 東文研アーカイブデータベース. 独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所 (2016年9月5日). 2023年9月5日閲覧。初出:『日本美術年鑑』平成26年版 p.451。
- ^ 『ガチャバイ』下巻(1998年)、あとがきより。
- ^ “「ぼっけもん」のいわしげ孝さん死去”. デイリースポーツ online. デイリースポーツ (2013年3月24日). 2023年9月5日閲覧。
外部リンク