阿蘇 惟前(あそ これさき)は、戦国時代の武将。肥後国の戦国大名。阿蘇神社大宮司。
略歴
菊池武経(阿蘇惟長)の子として誕生。
永正10年(1513年)、阿蘇惟豊との争いに勝利した父・惟長の後見を得て阿蘇神社大宮司となるが、永正14年(1517年)に惟豊の反撃を受けて八代に逃れる。大永3年(1523年)に益城の堅志田城を落とし、甲佐・砥用・中山を支配下に治める。
天文12年(1543年)、堅志田城を惟豊に落とされ再び八代に逃れた。永禄3年(1560年)に阿蘇領小国に侵攻するが撃退された。
出典
- 熊本日日新聞編纂・発行『熊本県大百科事典』、1982年、19頁
- 阿蘇惟之編『阿蘇神社』学生社、2007年