長崎市立佐古小学校(ながさきしりつ さこしょうがっこう、Nagasaki City Sako Elementary School)は、長崎県長崎市西小島一丁目にあった公立小学校。
2016年(平成28年)3月末をもって閉校し、校区の隣接する仁田小学校と統合の上、仁田佐古小学校が新設された。
概要
- 歴史
- 1906年(明治39年)に開校した「佐古尋常高等小学校」を前身とする。2011年(平成23年)に創立105周年を迎えた。
- 校訓
- 「佐古の子、みんなで育て、みんなで育つ」
- 校歌
- 作詞は八波則吉、作曲は島崎赤太郎による。3まであり、2番に校名の「佐古」が登場する。
- 校区
- 中学校区は長崎市立大浦中学校。
沿革
- 前史
- 1860年(万延元年)
- 4月8日 - ポンペが病院建設を要請。病院の名称が養生所に決定。
- 5月24日 - 長崎奉行所代官高木作右衛門忠知が下長崎村小島郷大字佐古(現・長崎市立佐古小学校)の畑地425坪を建設地に決定し、養生所を着工。
- 1861年(文久元年) 8月6日 - 養生所と附属医学所が完成。この養成所は長崎大学病院、医学所は長崎大学医学部の前身である。
- その後、養生所は「精得館」、「長崎府医学校ならびに病院」、「長崎県病院医学校」、「長崎県病院・長崎医学校」、「第六大学区医学校」、「第五大学区医学校」、「長崎医学校」、「蕃地事務支局病院」、「長崎病院・医学場」、「長崎医学校(再)・長崎県立長崎病院」、「第五高等中学校医学部」と改称を重ねる[1]。
- 1891年(明治24年)9月11日 - 第五高等中学校医学部医学科・薬学科が小島から西彼杵郡浦上山里村(現・長崎市坂本)に移転。小島に分教室と病院は残る。
- 正史
アクセス
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 最寄りの国道・県道
周辺
脚注
参考資料
関連事項
外部リンク