西川 照信(にしかわ てるのぶ、生没年不詳)とは、江戸時代の浮世絵師。
来歴
師系不明。江戸の人で俗称は七左衛門、直雨軒と号す。奥村政信挿絵の『絵本風雅七小町琴棋書画』(寛保または延享頃刊行)の下巻最終丁には、照信について次のようにある。
- 「江戸大和絵西川照信娘おむめ、親書候絵見習て絵になりぬ。此西川はもとは本絵也しに、子細有て浮世絵になりぬ。遊女の額きわうすく書初し根元也。うすくけ書きしを照信流と申。京の絵師西川祐信にては無御座候。古人也。むかし物語候」[1]
これによれば照信は当時かなり知られた江戸の絵師で、「本絵」すなわち狩野派の絵師だったのがわけあって浮世絵師となり、遊女の額ぎわを薄く描く画法を創始し、それが「照信流」と称された。また「古人也」とあるので、この『絵本風雅七小町琴棋書画』が刊行される以前に没していたのが窺える。これにより照信の作画期は従来享保の頃とされてきたが、現在ではそれより少し早い元禄後期から宝永、正徳頃といわれている。作は肉筆画を残す。『増訂古画備考』(朝岡興禎著、太田謹補)には照信の作として「花見幕張酒宴」の様子を描いた屏風と、「遊女図」のふたつが報告されている。
作品
作品名
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技法
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形状・員数
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寸法(縦x横cm)
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所有者
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年代
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落款
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備考
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奈良春日若宮社祭礼絵巻
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紙本著色
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1巻(現在額装2面)
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36.0x360.0
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光ミュージアム
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1711-16年(正保年間)
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款記「大和繪師/西川照信」/花押
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奈良の春日大社の摂末社・若宮社の祭祀である春日若宮おん祭を描く。全体の構成は、17世紀中頃制作の「春日若宮御祭礼絵巻」(3巻、春日大社蔵)と似通う。作風は狩野派の影響が強く、照信が本絵師だった頃の作品と推測される[1]。
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女形図
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絹本著色
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1幅
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ジョン・C・ウェーバー・コレクション
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宝永・正徳頃
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款記「大和絵師西川直雨軒照信圖之」/「照信」白文八角印
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麻布美術館旧蔵。紫色の帽子でさかやきを隠し、顎に引かれた線も男性的で女装の役者を直視して描ききっており[2]、後の東洲斎写楽の作画態度を思い起こさせる。
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立姿美人図
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絹本著色
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1幅
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出光美術館
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款記「大和繪師西川照信圖之」/白文瓢形印(印文不明)
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立姿美人図
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紙本著色
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1幅
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出光美術館
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款記「大和繪師西川照信圖之」/朱文八角印(印文不明)
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吉原風俗図
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絹本著色
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1幅
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33.9x56.0
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奈良県立美術館
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款記「西川圖」/「西川」白文八角印[3]
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脚注
参考文献
関連項目