結束 信二(けっそく しんじ、1926年8月6日 - 1987年5月30日)は、日本の脚本家。東映ならびに第二東映製作・配給の時代劇映画および、東映京都テレビ・プロダクション制作のテレビ時代劇シリーズの原案・脚本を担当して、いわゆる「東映時代劇」の黄金期を支えた、昭和時代を代表する脚本家の一人。
来歴・人物
生い立ち
東京市淀橋区生まれ。父の結束武次郎は国際通信社の幹部を務め、のち中国で客死した。
陸軍特攻隊員として熊本・隈庄の飛行隊基地に配属。爆撃機の搭乗員として出撃する直前に敗戦を迎える[1]。
映画界へ
1950年、東横映画京都撮影所(東映の前身)へ入社する。この就職は、父・武次郎の旧友・根岸寛一が世話した。結束は1953年のデビュー作『快傑鉄仮面』からテレビに移るまでの約11年弱の間に、155本の劇場用映画のための脚本を世に送り出すこととなるが、そのほとんどが時代劇である。
デビュー初期から2部作公開の1時間作品および、3部作・4部作シリーズを多く担当した。1950年代から60年代にかけての東映時代劇スターには大御所の片岡千恵蔵、市川右太衛門、月形龍之介、大河内傳次郎をはじめ、東千代之介、近衛十四郎、中村錦之助、大川橋蔵、大友柳太朗、高田浩吉、そして若手の里見浩太郎がおり、結束は彼らの主演・出演作を多く手がけた。このうち、東の生涯主演作は結束脚本のものが最も多い。
コンビを組んだ監督のうち、河野寿一とは後にドラマでも多く組む。
テレビ時代
1964年に東映京都テレビ・プロダクションが設立されると、結束はテレビ界に身を転じ、数多くのテレビ時代劇の脚本を執筆。自身が映画時代に担当した近衛十四郎主演の『柳生武芸帳』シリーズのテレビ化にも携わっている。1965年に放映された『新選組血風録』をきっかけに、原作者の司馬遼太郎との交流が終生続いた。
テレビ時代劇では全話の脚本を手がけた作品が多い(『新選組血風録』、『俺は用心棒』シリーズ、『天を斬る』、『燃えよ剣』、『さむらい飛脚』、『軍兵衛目安箱』、『隼人が来る』、『新選組』など)ほか、そのうちのいくつかでは原作を兼任した(『俺は用心棒』シリーズ 、『天を斬る』、『軍兵衛目安箱』など)。
『素浪人 月影兵庫』では「浪人独り旅」を、『素浪人 花山大吉』では「浪人まかり通る」と、共に北島三郎が歌った主題歌の作詞を担当している。
1970年代中盤以降は、『暴れん坊将軍』シリーズの1作目『吉宗評判記 暴れん坊将軍』や『斬り捨て御免!』などにゲスト脚本で参加するにとどまった。
晩年
晩年はテレビドラマから退いて舞台の脚本・演出を手がけたほか、東映京都撮影所脚本研究所の所長をつとめ、後進を指導した。
1987年3月に脳梗塞で倒れ、同年5月30日に死去した。墓は京都市北区の誠心寺[2]にあり、碑には司馬遼太郎の筆で
- 結束さんは人生をよき景色としてみていたすばらしい心のもちぬしでした
の言葉が刻まれている[3]。
結束が執筆した映画・テレビドラマ・舞台の台本は、没後に妻から京都市の京都文化博物館に寄贈され、「結束信二文庫」で保管されている[4][5]。
主な作品
映画
- 主なシリーズ全脚本作品
- 主なシリーズ一部脚本作品
- 主な単発作品
テレビドラマ
テレビアニメ
出版
- 『新選組血風録』(新人物往来社、2001年)- シナリオ集
- 『慶応四年新選組』(島津書房、1976年/新版 河出書房新社、2003年)- 長篇小説
脚注
外部リンク