稲葉 正縄(いなば まさなお、慶応3年7月2日(1867年8月1日) - 大正8年(1919年)3月23日)は、明治時代から大正時代の華族。子爵。
経歴
松浦詮の子。1879年(明治12年)、旧淀藩主である稲葉正邦の養子となる。学習院を卒業後の1887年(明治20年)、イギリスに留学してケンブリッジ大学で学んだ。1895年(明治28年)、東宮侍従に就任する。1898年(明治31年)、家督を相続し、子爵に叙爵された。1899年(明治32年)、式部官に就任する。後に宮中顧問官となった。
1910年(明治43年)、韓国併合の過程で明治天皇の勅使となり、「前皇帝を冊して王と為す証書」を渡す儀式を行った[1]。1919年(大正8年)、53歳で没した。家督は正凱が継いだ。なお、稲葉家は正凱の次代の正輝で途絶える。その旨が青山霊園の墓所に書かれている。
家族
妻は前田利鬯の娘隆子。子女は、稲葉正凱、煕子(小野哲郎妻)、英子(郷純造九男郷朔雄男爵妻)。
栄典
- 外国勲章佩用允許
脚注
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、274頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ 『官報』第14535号「叙任及辞令」1898年8月11日。
- ^ 『官報』第1001号「叙任及辞令」1915年12月2日。
- ^ 『官報』第1990号「叙任及辞令」1919年3月25日。
- ^ 『官報』第6433号「叙任及辞令」1904年12月8日。
- ^ 『官報』第6594号「叙任及辞令」1905年6月24日。
- ^ 『官報』第7600号「叙任及辞令」1908年10月24日。
参考文献