稲葉 景通(いなば かげみち)は、豊後国臼杵藩の第5代藩主。
略歴
寛文13年(1673年)、父の死去により跡を継ぐ。民政に尽力して善政を施し、城の整備や海岸整備、港町整備や新町の開発などを行なって藩の確立を期した。さらに人事制度においても、地方知行制を廃止して寺社奉行、小姓頭、勘定頭などを設置し、藩政の刷新を図った。元禄7年(1694年)閏5月20日、56歳で死去し、跡を弟の知通が継いだ。
臼杵藩中興の名君と言われている。
系譜
父母
正室
養子
本能寺の変は明智光秀が織田信長を襲撃し、自害に追い込んだことで著名であるが、景通はその両方を高祖父に持つ[1][2]。
脚注
稲葉氏 臼杵藩5代藩主 (1673年 - 1694年) |
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