稲葉 信通(いなば のぶみち)は、豊後国臼杵藩の第4代藩主。
生涯
寛永18年(1641年)、父の死去により跡を継ぐ。民政に尽力し、文武を奨励し、土木事業や社寺の再建を行なうなどして藩政の基礎を固めた。江戸府内の火消し役、公家の接待役、女院御所の造営、日根野吉明改易後の府内藩在番、高力高長改易後の唐津藩在番を務めた。寛文13年(1673年)6月24日、66歳で死去し、跡を長男・景通が継いだ。墓所は東京都港区高輪の東禅寺。
系譜
父母
正室、継室
- 光浄院 ー 織田信良の次女(正室)
- 天量院 ー 織田信良の三女(継室)
側室
子女
本能寺の変は明智光秀が織田信長を襲撃し、自害に追い込んだことで著名であるが、信通は光秀の曾孫ながら[2]正室、継室とも信長の曾孫を迎えている[3]。
脚注
稲葉氏 臼杵藩4代藩主 (1641年 - 1673年) |
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