福岡県立西田川高等学校(ふくおかけんりつ にしたがわこうとうがっこう、英:Fukuoka Prefectural Nishitagawa High School)は、福岡県田川市上本町にある県立の高等学校。
概要
- 歴史
- 1917年(大正6年)創立の「田川郡立田川高等女学校」を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革で新制高等学校となる。翌1949年(昭和24年)より男女共学を開始。長く、全日制課程 普通科を有していたが、2021年(令和3年)度に全日制課程の募集を停止し、フレックス3部制(午前・午後・夜間)単位制・定時制を導入した。
- 設置課程・学科
- 定時制課程 普通科(単位制)
- フレックス3部制単位制・定時制
- 以下の事項を生徒自らが決定する[1]。
- 学ぶ時間帯 (午前の部・午後の部・夜間の部)
- 卒業する年限(他の部の講座も受講して3年・所属部のみで学び4年)
- 学ぶ内容(必履修科目以外は約100種類の中から)
- 学ぶ量(74単位以上取得で卒業)
- 校訓
- 「誠・敬・愛」
- 校章
- 3枚の鷹の羽が校訓である「誠・敬・愛」の3つを象徴し、強固・不屈の柏の葉を配して、独立自主の精神を表している。中央に「髙」の文字を配している。
- 校歌
- 作詞は火野葦平、作曲は古関裕而による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「西田川」が登場する。
- 通学区
- 福岡県第十三学区(田川市および田川郡内の各町村)
沿革
- 旧制・高等女学校時代
- 1902年(明治35年)- 弓削田尋常小学校に「田川女子実業補習学校」が併設される。
- 1912年(明治45年)3月 - 「田川郡立技芸女学校」に改称。
- 1917年(大正6年)3月 -「田川郡立田川高等女学校」に改称。定員は本科200名、実業科100名の二部制であった。
- 1921年(大正10年)- 県立移管により、「福岡県立田川高等女学校」に改称。
- 1922年(大正11年)4月 - 実業科を廃止。定員を400名とする。
- 1924年(大正13年)4月 - 定員を600名とする。
- 1925年(大正14年)4月 - 「福岡県田川高等女学校」に改称。
- 1939年(昭和14年)4月 - 「福岡県田川西高等女学校」に改称[2]。
- 新制高等学校
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革の経過措置により、新制中学校を併設(以下・併設中学校)し、高等女学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容。
- 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により、新制高等学校「福岡県立田川女子高等学校」に改称。全日制課程・定時制課程普通科を設置。併設中学校を継承。
- 1949年(昭和24年)
- 1960年(昭和35年)3月31日 - 福岡県立田川農林高等学校より川崎分校が移管される。
- 1964年(昭和39年)2月 - 定時制川崎分校を廃止。
- 1994年(平成6年)4月 - 全日制課程被服科と定時制課程普通科の募集を停止。
- 1996年(平成8年)3月31日 - 全日制課程被服科を廃止。
- 1997年(平成9年)3月31日 - 定時制課程普通科を廃止。これにより、全日制課程普通科のみとなる。
- 2020年(令和2年)8月 - 福岡県立大学との間に、連携教育に関する協定を締結[3]。
- 2021年(令和3年)3月 - 全日制課程普通科の募集を停止し、フレックス3部制(午前・午後・夜間)単位制・定時制を導入。
- 2023年(令和5年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、全日制課程普通科を廃止。
学校行事
3学期制
- 1学期
- 4月 - 第1学期始業式、入学式、規律と友情の体験学習、歓迎遠足
- 5月 - 第1学期中間考査
- 6月 - 文化祭、交通安全教室
- 7月 - 第1学期期末考査、クラスマッチ、保護者会、第1学期終業式
- 8月 - 夏季休業中課外授業、英彦山勉強合宿
- 2学期
- 9月 - 第2学期始業式、体育大会
- 10月 - 中学生体験入学、第2学期中間考査
- 11月 - 芸術鑑賞
- 12月 - 清掃奉仕活動、第2学期期末考査、西高フェスタ、保護者会、第2学期終業式
- 3学期
- 1月 - 第3学期始業式、修学旅行、3年生学年末考査
- 2月 - 1・2年生学年末考査
- 3月 - 卒業式、クラスマッチ、第3学期終業式
著名な出身者
交通アクセス
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 最寄りの幹線道路
周辺
脚注
参考資料
- 「田川市誌」(1954年(昭和29年)12月1日発行, 田川市)p.372~p.373
関連項目
外部リンク