石川 球太(いしかわ きゅうた、本名:石川 輝義、1940年1月16日[1][2] - 2018年10月15日[3][4])は、日本の漫画家。石川輝義(いしかわ てるよし)、石川球人(いしかわ きゅうと)などの名義による作品もある[1]。長男の龍太郎[注 1]は、音楽プロデューサーを経て現在はアニメ・ドラマ製作会社を運営している[5][6][7]。
神奈川県横浜市出身[8]。横浜市磯子区の横浜市立磯子小学校に学ぶ[9]。関東学院高等学校を中退し、鈴木光明、うしおそうじに師事[2]。『漫画少年』投稿欄の常連入選者で、1955年1月に本名の石川輝義名義で「珍消防隊」を『漫画少年』に掲載してデビューした[1]。1956年4月には、初めての単行本となる書き下ろし貸本単行本『ななし野ものがたり』を漫映出版社から刊行している。
1957年から数年間、永島慎二、杉村篤、中城けんたろう、安松健夫と「むさしの漫画ぷろだくしょん」を結成していた[10]。1966年に『週刊少年マガジン』に連載した「牙王」が代表作となる[1]。以降、動物漫画を主に執筆した[1]。
2018年10月15日、東京都国立市の自宅で病気により死去[11]。78歳没。
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