『新猿楽記』(しんさるがくき)は平安時代中期の学者藤原明衡による作品。ある晩京の猿楽見物に訪れた家族の記事に仮託して当時の世相・職業・芸能・文物などを列挙していった物尽くし・職人尽くし風の書物である。その内容から往来物の祖ともいわれる。
正確な成立時期は不明である。通説では作者藤原明衡の晩年である天喜年間(1053年 - 1058年)あるいは康平年間(1058年 - 1065年)とするが、長元元年(1028年)とする説もある。いずれの説も推測の域を出ない。冒頭の作者署名に右京大夫と官名が記されており、明衡が右京大夫に任官した記録は他にないが、事実とすればこれが彼の極官であったことから、晩年の作であろうとする見解が多いだけである。
作者はある晩京の猿楽見物をする。それは今までになく見事なものであった、として猿楽のジャンルを列挙し、また名人の批評を行う。猿楽見物に参集した人々の中で特筆すべきは右衛門尉(うえもんのじょう)一家であった。右衛門尉の3人の妻、16人の娘(あるいはその夫)、9人の息子の描写が始まる(以下、各段の紹介)。
猿楽の中でも大笑いをさそうものとして、以下の項目が列挙されている。
以下は対句となっていて、両極端な役や対で物語を構成している芸を列挙する。
名人についての論評を行う。この段も対になっている。また批評の形式は古今和歌集真名序のパロディである。
以下の人物については他に出典がなく不明である。
60歳(夫である右衛門尉は40歳)。右衛門尉は若い頃、妻の実家が財産家というだけで結婚してしまったが、本来好色家であるため、現在では年長の妻を娶ったことを後悔している。髪の毛は真っ白、顔のしわは海の波のよう、歯は抜け落ち、乳房は牛のふぐりのように垂れている。それでも化粧をし、夫が見向きもしないことを恨んでいる。いい加減出家して尼にでもなればいいのに、いまだに夫に対して嫉妬し、毒蛇や悪鬼のようである。夫の愛を得るために、以下の神仏を信仰している。
以上のように、第一の本妻に対しては、好色な老女として厳しく批判されているが、その分生き生きとした描写になっている。
右衛門尉と同年齢、特に美人というわけでもないが、心ばえはよく、夫に仕えている。家事一切に秀でているが、中でも糸つむぎ、機織り、染色、裁縫などは褒め足りないくらいすばらしい。彼女が用意する装束として、以下のものが列挙される。
宿装束(とのいしょうぞく):日常用の装束。
昼装束(ひのしょうぞく):儀礼用の服、束帯用の装身具。
有力な女房の親類で18歳、美人。まだ世間知らずである。夫はこの妻を見ると苦しいこともすべて忘れてしまい、常に一緒におり、この妻のためなら身の危険も財産もいとわない。そのことを世間からは嘲笑され、二人の妻からは嫉妬されているが、知らぬ振りをしている。どんな不老不死の薬も、(若返りの手段という点で)この妻にはかなわないからである。
有名な博打うちで賽の目を思い通りに出せる。ギャンブルによる害悪「一心、二物、三手、四勢、五力、六論、七盗、八害」をすべて備えているという。得意な博打(双六)として以下を列挙する(すべて不詳)。
名は勲藤次、天下第一の武者で、いまだ戦いに負けたことがない。次のことに得意である。
出羽権介田中豊益という大名田堵で、数町の田畑を真面目に経営している。農民を使役しており、彼が行うのは農具の準備や土木工事、農作業の指揮である。以下に挙げる。
豊益が耕作している作物
豊益が収めた税
四女は巫女で卜占(うら)、神遊(かぐらあそび、神前での歌舞)、寄弦(よりづる、梓弓の弦を鳴らして神を降ろすこと)、口寄(くちよする、神がかりして死者の魂の言葉をのべる)の名人であった。仙人のように舞い、鳥のさえずるように歌い、琴や鼓の音もすばらしく、天下の老若男女が貴賤を問わず訪れた。収入も莫大である。四女の夫右馬寮史生(下役人)の金集百成は鍛冶・鋳物師・金銀の細工師である。
鍛冶物
鋳物
菅原匡文という紀伝道・明法道・明経道・算道の学生。大江以言・大江匡衡・菅原文時・橘直幹に勝るとも劣らない学者である。現在の給料・得業・進士・秀才・成業・大業の者で肩を並べる者はない。
彼の学んだ書
得意な詩文
算道の技術
伯耆権介丹治筋男という有名な力士である。父方は丹治文佐の子孫、母方は薩摩氏長[14]の曾孫、大男で怪力勇敢、どんな名人もかなわない。
以下相撲の取手(とりて、技)
食道楽で酒飲み、夫の前では猫をかぶっているが、食べ物を前にすると犬のように舌なめずりしてかぶりつく。容姿端麗なのに、(うまい物を食べられるように)馬借・車借の嫁になりたかったのだ。 彼女の好物
精進料理
菓物(くだもの):副食
酒
肴
夫は(希望通りの)馬借・車借で字は越方部津五郎、名は津守持行、東は大津・坂本から西は淀・山崎まで走り回っている。牛馬を休ませる暇もなく、常に運送料や荷車のことで争っている。尊大で人に頭を下げるということを知らないが、靴を脱ぐ暇もなく、足にひびやあかぎれをつくりながらただ家族のために働いている。経済的には恵まれている。
飛騨国出身、五位の大工で名は檜前杉光。大内裏の八省院・豊楽院の図面を伝来し宮殿建築の研究をしている。彼のつくる材木の寸法は鏡に映したように正確である。その風貌は、目は墨壷のようで曲直を正し、歯は鋸のよう、首は手斧のよう、さいづち頭(木槌のように額と後頭部のでっぱった頭)で、指は墨刺(竹の筆)、肘は曲尺(直角に曲がったものさし)、肩は南蛮錐の柄のよう、足は金づちと、まさに生まれついての大工である。
寺院建築
一般の邸宅
以下建築用材
右近衛府の医師で鍼灸に通じている。
陰陽師で鬼神を駆使し男女の魂を操る。
管弦の名人。
高級官僚だがあまりもてない。しかし美人の十二の君には恋い慕われている。
本妻の娘で醜女。母に似て淫乱。大原の炭焼きの老翁が求婚者として通って来る。
素行不良。長大な陰茎のみが取り柄。
未亡人。仏法に帰依。
遊女。
能書家。その書は高く珍重されている。
山伏。
指物師。
国主の従者。
天台宗の学僧。
絵師。
大仏師。
商人。
雅楽寮の役人の養子となる。十五の若年ながら舞楽に通じ美男。僧侶たちが気を惹こうと贈り物を欠かさない。
現在比較的入手可能な主な版本をあげる。
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