川端(かわばた)とは福岡県福岡市博多区の博多川右岸にある地名。福岡市地下鉄空港線中洲川端駅が出来たため、川端一帯を漠然と指す地名となった。現行の行政地名は、上川端町と下川端町(共に住居表示実施済)[2][3]。面積は上川端町が9.80ヘクタール、下川端町が5.27ヘクタール、合計が15.06ヘクタール[注釈 1][4]。2023年3月末現在の人口は上川端町が492人、下川端町が224人、合計が716人[1]。郵便番号は上川端町が812-0026、下川端町が812-0027[5]。
上川端町
上川端町は、国体道路(国道202号)と明治通りに挟まれた区画。1966年(昭和41年)の町名町界整理までは、上新川端町、川口町、片土居町、中土居町、上土居町、大乗寺前町(以上土居流)、下新川端町(大黒流)、今熊町(櫛田流)、社家町(岡流)であった[2]。川端通商店街があり賑わう。商店やオフィスが多く、冷泉公園北側には専門学校もあり、公園の昼時はサラリーマンや学生が利用する姿が見られる。
主な施設
下川端町
下川端町は、明治通りと昭和通りに挟まれた区画。町名町界改変までは、川端町、下新川端町、麹屋町(近年山笠では麹屋番という呼称を使用)、掛町(以上大黒流)、行町、片土居町、下土居町(以上土居流)であった[2]。
かつて下川端町には下川端商店街・川端商店街・寿通商店街があり、昭和30年代から40年代には博多の商業の中心として繁栄した。福岡銀行・西日本相互銀行の本店も川端地区に存在した。
1999年(平成11年)、下川端地区再開発事業によって博多リバレインが建設され、以前の面影はない。博多リバレイン敷地内の博多川沿いに鏡天満宮がある。
主な施設
人口
上川端町及び下川端町の人口の推移を福岡市の住民基本台帳(公称町別)[1]に基づき示す(単位:人)。集計時点は各年9月末現在である。
上川端町
下川端町
交通
鉄道
鉄道については、福岡市交通局が運営する地下鉄が地区の北側に通っており、川端と中洲にまたがる位置に次の駅がある。
バス
バスについては、西日本鉄道株式会社が運営するバスが運行しており、次の停留所がある。
- 川端町・博多座前(明治通り)
- キャナルシティ博多前(国道202号)
- 博多五町(昭和通り)
道路
主な幹線道路は次の通り。
- 国道202号(国体道路)
- 堅粕西新1号線
- 千代今宿線(明治通り)
- 博多姪浜線(昭和通り)
- 店屋町318号線(土井通り、博多通り)
- 上川端町319号線(冷泉公園通り)
- 上川端町322号線(川端通商店街)
- 上川端町323号線(冷泉通り)
- 上川端町326号線(川端通商店街)
- 上川端町327号線(川端通商店街)
- 上川端町328号線(櫛田通り)
- 上川端町330号線
- 綱場町409号線(土井通り)
出身・ゆかりのある人物
- 中牟田喜兵衛(呉服商) - 岩田屋専務取締役[7]。共栄土地建物取締役[7]。住所が麹屋町[7]。岩田屋創業家の入り婿で2代目喜兵衛として家督を継ぎ、麹屋町に岩田屋初の支店を開業した。
- 中牟田久兵衛(毛綿麻織物商) - 福岡県多額納税者[7]。岩田屋取締役[7]。住所が麹屋町[7]。上記喜兵衛の甥で、喜兵衛から岩田屋麹屋町店を任された初代久兵衛の長女・トキの婿となり、家督を継ぎ2代目久兵衛を襲名した。
- 中牟田喜久雄(貸家業) - 住所が麹屋町[7]。2代目久兵衛の長男。岩久株式会社社長・会長を務めた。その長男・中牟田久敬(岩久興産会長)は、日本のアイビールック指南書『トラディショナルファッション』(婦人画報社、1981年)の著者としても知られ、輸入服販売のデスモンド・インターナショナルを経営していた。[8][9][10][11]
脚注
注釈
- ^ 合計の前に端数処理を行ったため、合計が一致しない。
- ^ 博多小学校に統合され、現在は小学校としては使用されていない。
- ^ 箱崎線のターミナル駅でもある。
出典
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第13版下』人事興信所、1941年。
関連項目
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一覧は「福岡市区の設置等に関する条例」(昭和47年条例第1号)に基づく
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