山崎 義苗(やまざき よしたね)は、江戸時代中期の交代寄合表向御礼衆。備中国成羽領7代領主。
生涯
宝暦13年(1763年)1月8日 、備中国成羽領5代領主山崎義俊の三男として江戸で生まれる。母は義俊の側室。正室はなし。父方の従弟に豊後国森藩8代藩主久留島通嘉がいる。
安永8年(1779年)4月23日に兄義孝が嗣子なく没したため、同年7月5日、家督である成羽領5,000石を相続した。同年8月21日に家督相続許可の御礼として徳川家治に拝謁している。天明元年(1781年)6月15日、領地である成羽へのお国入りを許可されたが、翌7月26日に急逝した。享年19歳。家督は次弟の義徳が養子となり相続した[1]。
系譜
脚注
- ^ “画像表示 - SHIPS Image Viewer”. clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp. 2021年3月26日閲覧。
参考文献