四国Eighty 8 Queen |
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原語表記 |
四国Eighty 8 Queen |
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ホームタウン |
香川県高松市 |
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クラブカラー |
青 |
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創設年 |
2005年 |
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廃部年 |
2011年 |
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チーム所在地 |
香川県高松市 |
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体育館所在地 |
香川県高松市 |
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代表者 |
高橋久夫 |
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監督 |
米田一典 |
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四国Eighty 8 Queen(しこくエイティエイツクイーン)は、NPO法人J-HOTバレーボール連盟が運営していた、女子バレーボールの社会人クラブチーム。愛称は「エイティエイツ」[1]。後にV・チャレンジリーグに所属した仙台ベルフィーユの前身となったチームである。
概要
2005年、元全日本監督の米田一典が中心となりチーム結成。前身チームをもたない全く新しいチームであった。ホームタウンは香川県高松市。チーム名の「Eighty 8 Queen」のEighty 8(八十八)には四国八十八ヶ所、8には∞(無限の可能性)、四国の高速道路網のカタチをオーバーラップさせており、Queenにはバレーボール界の女王に…という願いが込められている[1]。
親会社を持たないクラブチームであるため、選手は香川県内の複数の協賛企業で社員として働きながら、チームの活動に参加していた。地域密着型クラブとして、バレーボール教室やボランティアなどの社会活動も行っていた。
2010/11シーズン終了後に仙台市に移転し、仙台ベルフィーユと名を変えて活動していた。
歴史
チーム発足まで
2003年9月、元全日本監督の米田一典が中心となり、「J-HOTバレーボール連盟」を設立。発起人には元全日本の三屋裕子や中田久美なども名を連ねている。連盟は会員や児童・生徒などへの技術指導等を通じてのバレーボール普及を行いつつ、将来、特定の母体企業に頼らない地域密着型クラブチーム設立とプレミアリーグ参戦を目指す[2]。チームが発足した暁には地域の企業、連盟の会員等が強力なバックアップサポーターとなる仕組みである。その後2004年9月17日にVリーグチーム開設準備室を設置し、新クラブチーム発足へ向けて本格的に始動[2]。10月30日にチーム名の「四国Eighty 8 Queen」とマスコットキャラクターの「ティサ(TISA)ちゃん」を発表[1]。11月23日に四電体育館で初のトライアウトを実施し[1][3]、2005年4月に元Vリーガーを含むトライアウト合格者等でチームを結成した。監督は米田が務める[3][4]。
地域リーグ
2005年7月、チーム結成後初の公式戦・全日本実業団選手権に挑み、ベスト8に進出してシード2位のトヨタに善戦した[5]。この大会でのエイティエイツの戦いぶりが評価され、8月30日に開催された地域リーグ実行委員会でエイティエイツの地域リーグ昇格が正式に決定した[6]。
2006年、実業団地域リーグに初参戦。一次リーグでは4勝1敗の首位でプレーオフ進出を決めるも、チャレンジリーグ入れ替え戦につながるプレーオフでは1勝2敗の4位に終わり、最速でのチャレンジリーグ昇格はならなかった[7]。2007年、参戦2年目の実業団地域リーグでは一次リーグは2年連続で1位通過。昨シーズンはつまづいたプレーオフも3戦全勝で1位となり、地域リーグ初優勝を果たした。チャレンジリーグ入れ替え戦は栗山米菓(後のBefcoビービースターズ)と対戦し、2連勝でチャレンジリーグ昇格を決めた。四国からのチャレンジリーグ昇格は健祥会レッドハーツに次いで2チーム目[8]。5月に高松中央商店街で昇格記念パレードを行った[9]。
チャレンジリーグ
チャレンジリーグに初参戦した2007/08シーズンは開幕からいきなり6連敗のスタートとなる。2008年2月9日、7戦目のKUROBEアクアフェアリーズ戦でチャレンジリーグ初勝利をあげたが、その後も苦戦し、8チーム中6位だった。
2008年10月より翌年5月まで選手育成を目的とした取り組みにより、プレミアリーグのデンソー・エアリービーズより2選手(井上奈々朱、高橋菜穂子)がレンタル移籍[10]。2008/09シーズンは前年より大幅に勝ち星を増やし、10チーム中、5位に入った。
2009年11月12日、チーム初の外国人選手として、アメリカ大学選手権で活躍した中国籍の王亜辰の入団が決定。しかし、2009/10シーズンでは前年度シーズンから勝ち星を減らし、12チーム中10位に沈んだ。
チャレンジリーグ2010/11シーズン開幕前の2010年12月、当チームメンバーを主体に他チームの若手選手を加えた編成で、日本代表として東アジア地区バレーボール女子選手権大会に出場し、銅メダルを獲得した。2010/11シーズンでは、チャレンジリーグ昇格後初めての開幕3連勝を飾る好スタートをきった。しかしその後は伸び悩み徐々に順位を下げた。3月11日に東日本大震災が発生。この影響で残りのリーグ戦は打ち切りとなり、12チーム中7位でシーズンを終えた。
移転
2011年6月、不況の影響によりスポンサーが集まらず運営資金が不足し、選手の雇用先の確保のメドが立たなくなったため、活動を休止した[11]。その後、チーム存続のため本拠地の移転を模索した結果、トップリーグのチームが無い仙台市の関係者が受け入れる意向を示し、選手の雇用先など企業の支援を受けられる見込みとなった[12]。7月25日のVリーグ機構理事会において、本拠地の仙台市移転が正式決定、併せてチーム名を仙台ベルフィーユに変更することも決定した[13]。
成績
主な成績
- チャレンジリーグ(実業団リーグ/V1リーグ)
- 黒鷲旗全日本選手権
年度別成績
選手・スタッフ
選手
2011年6月の活動休止時のメンバーは下記の通り。
背番号 |
名前 |
シャツネーム |
国籍 |
P |
備考
|
1
|
高橋潤子 |
TAKAHASHI |
日本 |
WS |
|
3
|
芳賀小梨絵 |
HAGA |
日本 |
L |
|
4
|
内原実栄子 |
UCHIHARA |
日本 |
WS |
|
5
|
中島美菜子 |
NAKAJIMA |
日本 |
S |
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10
|
上村麻衣 |
UEMURA |
日本 |
MB |
|
12
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乾鈴惠 |
INUI |
日本 |
WS |
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13
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大須賀咲香 |
OSUGA |
日本 |
WS |
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14
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王亜辰 |
YA CHEN |
中国 |
MB |
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15
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木村沙織 |
SAORI |
日本 |
WS |
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スタッフ
役職 |
名前 |
国籍
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部長 |
高橋久夫 |
日本
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監督 |
米田一典 |
日本
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トレーナー |
浪尾敬一 |
日本
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トレーナー |
河野啓子 |
日本
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マネージャー |
内田聡和 |
日本
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過去に在籍していた選手・スタッフ
- 吉野信子
- 松崎聖子
- 西山瑛子
- 横内愛巳
- 高免沙耶香
- 大須賀陽香
- 笹崎莉愛
- 滝沙緒理
- 西村光代
- 大山知美
- 井田彩菜(2006-09)
- 岡夏美(2007-09)
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ホームゲーム開催アリーナ
エイティエイツのホームゲームは、ケーブルメディア四国で放送されていた。
関連項目
脚注
外部リンク
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あ行 | |
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か行 | |
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さ行 | |
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た行 | |
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な行 | |
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は行 | |
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ま行 | |
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や行 | |
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ら行 | |
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Remarks |
- ▲ は休部・廃部チーム
- 残波WINGS、福岡ギラソール、山梨中央銀行はV.LEAGUEとその前身リーグに参加したことがない
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