東芝シーガルズ |
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原語表記 |
東芝シーガルズ |
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ホームタウン |
神奈川県横浜市 |
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創設年 |
1971年 |
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廃部年 |
1999年 |
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チーム所在地 |
神奈川県横浜市鶴見区 |
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体育館所在地 |
神奈川県横浜市鶴見区 |
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東芝シーガルズ(とうしばシーガルズ)は、神奈川県横浜市を本拠地として活動していた、東芝京浜事業所の女子バレーボールチームである。現在、Vリーグに所属する岡山シーガルズの前身となったチームである。
概要
1971年、東芝鶴見事業所のバレーボール部として創部された。1982年、元東洋紡監督の石川春樹を監督に招聘し翌年の実業団リーグ入りを決める。日本リーグでも1988年から4シーズン戦っている。
1993年、大阪国際滝井高等学校バレーボール部監督だった河本昭義を監督に招聘し、現在の岡山シーガルズの原点とも言える新体制が発足した。モットーは「調和と発展」、「考える心のバレー」[1]。
1999年に東芝が廃部とした。選手・スタッフは河本を中心にクラブチーム「シーガルズ」を結成、活動拠点を富山県黒部市に移した。
歴史
- 1971年 - 東芝鶴見として創部。
- 1982年 - 東芝京浜に改称。
- 1982年 - 全日本都市対抗バレーボール選手権大会(現黒鷲旗大会)に初出場。実業団リーグ入り。
- 1988年 - 第19回実業団リーグで優勝し、日本リーグ入り決定。チーム名を東芝に改称。
- 1995年 - 第26回実業団リーグで優勝。入替戦にも勝利し、Vリーグ入り決定。
- 1999年 - 廃部。
以降は、岡山シーガルズ#歴史を参照のこと。
成績
- 日本リーグ/Vリーグ
-
- 実業団リーグ
-
- 国民体育大会成年女子(6人制)
-
年度別成績
大会名
|
順位
|
参加チーム数
|
試合数
|
勝
|
敗
|
勝率
|
実業団リーグ
|
第16回 (1984/85) |
6位 |
8チーム |
14 |
4 |
10 |
0.286
|
第17回 (1985/86) |
4位 |
8チーム |
14 |
8 |
6 |
0.571
|
第18回 (1986/87) |
準優勝 |
8チーム |
14 |
13 |
1 |
0.929
|
第19回 (1987/88) |
優勝 |
8チーム |
14 |
14 |
0 |
1.000
|
日本リーグ
|
第22回(1989/90) |
6位 |
8チーム |
14 |
4 |
10 |
0.286
|
第23回(1990/91) |
6位 |
8チーム |
14 |
4 |
10 |
0.286
|
第24回(1991/92) |
7位 |
8チーム |
14 |
4 |
10 |
0.286
|
実業団リーグ
|
第24回 (1992/93) |
3位 |
8チーム |
14 |
9 |
5 |
0.643
|
第25回 (1993/94) |
3位 |
8チーム |
14 |
10 |
4 |
0.714
|
第26回 (1994/95) |
優勝 |
8チーム |
14 |
12 |
2 |
0.857
|
Vリーグ
|
第2回(1995/96) |
8位 |
8チーム |
21 |
1 |
20 |
0.048
|
実業団リーグ
|
第28回 (1996/97) |
優勝 |
8チーム |
14 |
14 |
0 |
1.000
|
Vリーグ
|
第4回(1997/98) |
7位 |
8チーム |
21 |
7 |
14 |
0.333
|
第5回(1998/99) |
9位 |
10チーム |
18 |
2 |
16 |
0.111
|
廃部年度の在籍者
1999年度の選手・スタッフは次の通り。[2] 。
選手
スタッフ
在籍していた主な選手
脚注
- ^ 月刊バレーボール1998年1月号臨時増刊 第4回Vリーグ観戦ガイドブック 74ページ
- ^ 月刊バレーボール1999年1月号臨時増刊 第5回Vリーグ観戦ガイドブック 88-89ページ
関連項目
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あ行 | |
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か行 | |
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さ行 | |
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た行 | |
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な行 | |
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は行 | |
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ま行 | |
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や行 | |
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ら行 | |
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Remarks |
- ▲ は休部・廃部チーム
- 残波WINGS、福岡ギラソール、山梨中央銀行はV.LEAGUEとその前身リーグに参加したことがない
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