和田 正信(わだ まさのぶ)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将。備前国岡山藩家老。
出自
近江和田氏は清和源氏・源経基の子・満政の末裔。近江国甲賀郡和田谷を領してきた。
略歴
文禄元年(1592年)、父・和田信維の死去に伴い、和田家を継ぐ。池田輝政に仕え、慶長5年(1600年)8月の岐阜城攻めの軍勢に加わり、戦功を為した。関ヶ原の戦い後、主君の池田輝政が52万石を領して播磨国姫路城主となると家禄4600石が与えられた。慶長8年(1603年)、幼い池田忠継に従って備前岡山に移ると、家老に取り立てられ政務を執った。
元和2年(1616年)、死去。
没年については『因府年表』を参考にしたが、これには異説も存在しており、『鳥取藩史』着座家伝には寛永元年(1624年)に没したとある。正信には実子がいなかったため、荒尾成房三男・三正を養子として家督を継がせた。
脚注
- ^ 『因府録』
出典
- 『和田系図』(「『因府録』所収」)
- 鳥取県『鳥取藩史 第一巻 世家・藩士列伝』1969年
- 鳥取県『鳥取県史 第3巻 近世政治』1979年
- 鳥取県『鳥取県史 第6巻 近世資料』1974年
- 鳥取県『鳥取県史 第7巻 近世資料』1976年
- 『因府年表』