中村 重勝(なかむら しげかつ)は、戦国時代の武将。阿波海部城主。大西城主。通称は藤兵衛、右近太夫。中村右近の名で知られる。
息子は歌舞伎役者の初代中村勘三郎であるという説があるが定かではない[1]。
生涯
父は尾張国中村郷の領土を持ち、海部城主をつとめた中村重友で、豊臣政権の三中老のひとりである中村一氏の末弟とされる。
徳島藩の蜂須賀家の家臣として5500石を与えられ、父の重友に代わり海部城に配置される。慶長3年(1598年)に牛田氏に代わり大西城主となる。
朝鮮出兵に従軍し、大坂冬の陣では200人を率いて出陣し、慶長19年(1614年)12月16日に本町橋の夜襲戦で戦死した。墓所は徳島県三好市にある桂林寺。
「東都劇場沿革誌料」等によれば歌舞伎江戸三座の一つ中村座の座元・初代中村勘三郎と同一人物とする説や、重勝の息子や孫とする説があるが明確ではない。
脚注
参考文献
関連項目