ワールドアスレティックス(英: World Athletics)は、陸上競技の国際競技連盟。英語略称はWA。競技規則を整備し加盟団体の統括と世界的な競技大会の運営を担う。
2019年11月11日に国際陸上競技連盟(こくさいりくじょうきょうぎれんめい、英: International Association of Athletics Federations, IAAF、仏: Association Internationale des Fédérations d'Athlétisme)から名称が変更された[1]。日本陸上競技連盟では『ワールドアスレティックス』と呼称し、日本語略称を『世界陸連』としている[2]。
IAAFは古くからアマチュアリズムを掲げ、規約を設けて選手の金品獲得を制限しており違反者には資格剥奪処分が下された。ジム・ソープはマイナーリーグの所属経験があったために資格剥奪処分を受け、さらにIOCによって金メダルが剥奪された。この規定のために選手は長きにわたって陸上競技選手として生計を立てられなかった[19]。1968年メキシコシティオリンピック男子100m金メダリストのジム・ハインズはオリンピック後にプロアメリカンフットボールのNFL選手へ転身している。しかし、1960年代から他のスポーツがアマチュア規定を次々に廃止し、時代の流れはIOCが1974年にオリンピック憲章の参加規定を変更するまでに至った[20]。陸上競技も1970年代以降マラソン大会を中心にテレビ局やスポンサーから有力選手へ公然と出場料・賞金が支払われる状況になり[21]、競技と生活のために金銭を必要とする背景が選手にも存在した[19][22]。1981年、プリモ・ネビオロが会長に就任するとIAAFはアマチュアリズムと決別、放映権料とスポンサー料による商業化を推進し賞金レースの導入や出場料支払いを開始した[23]。IAAFは1982年の総会で選手が賞金と出場料を受け取ることを認めるルール改正を行い、以後は選手のプロ化が一気に進んだ[24]。IAAFは1991年にオフィシャルパートナー12社と締結したスポンサー契約が4年100億円、日本テレビに提供した世界選手権の日本国内向け放映権料はワールドアスレチックシリーズ数大会を含めても1年40億円に上るなど急激な商業化を推し進めた[25][26]。この時代にIAAFは地域開発センターを世界10都市に設置して、加盟団体の指導者育成・ジュニア選手養成を援助した[4]。世界選手権の成功が評価される一方で、バーリー時代のアマチュア路線から商業的な拡大路線への転換には批判的な意見も見られた[23][27]。IAAFは発足以来正式名称にAmateurの7文字を戴いていたが、2001年の総会において International Association of Athletics Federations へと改めた。