レオノーラ・パイパー
レオノーラ・エヴェリーナ・パイパー (Leonora Evelina Piper、1859年 6月27日 - 1950年 6月3日 )は、アメリカ人 女性の霊媒師 。イギリス の心霊現象研究協会 (以下、英字表記The Society for Psychical Researchの略のSPRと表記)が協会初期に調査対象とした著名な霊媒の1人[ 1] 。日本語では「パイパー夫人」の名でも知られる[ 2] [ 3] 。
人物歴
ニューハンプシャー州 ナシュア で育った。
超常現象 関連の書籍に記録によれば、パイパーは1884年 に信仰治療師 のもとを訪れた際にトランス状態 に陥り、インディアン の霊 からメッセージを受け、これをきっかけに内輪の交霊会 を開催し始めたという[ 4] 。中でも特に、パイパーが知るはずのない交霊会参加者の個人的な秘密を告げる能力に長けており、このほかに自動書記 やサイコメトリー の能力も発揮したという。
ウィリアム・ジェームズ は1885年 からパイパーの交霊会に参加し、その能力を本物と確信したことで、心霊研究の道に入ったという[ 4] 。1887年 にはリチャード・ホジソン の調査を受け、2年後の1889年 にはSPRの依頼により、ジェームズとホジソンの調査を受けるためにイギリスへわたった[ 4] 。
ホジソンはかつてブラヴァツキー夫人 による神秘現象を詐術と暴いたことがあり、パイパーに対しても当初は懐疑的な立場をとっており[ 3] 、周囲からもブラヴァツキー同様にパイパーのトリックを暴くことを期待されていた。しかしパイパーの交霊会においてパイパーがホジソンの亡き旧友の名を名乗り、交霊会の参加者たちしか知りえないことを語る様子を見、パイパーのもとに旧友の霊が現れたと認め、死後生存 の証拠を得たと考えた[ 2] 。SPRの懐疑派 の代表的人物といえるホジソンが、心霊主義 を肯定する立場をとってパイパーの能力を本物と認めたことは、SPRにとっては大事件であった[ 3] 。こうした実績から、パイパーはアメリカ を代表する霊媒の1人との声もある[ 1] 。同様にパイパーを通じて心霊主義を支持した学者にはオリバー・ロッジ 、ジェームズ・ヒスロップ (英語版 ) 、フレデリック・マイヤース らがいる[ 10] 。
また心霊主義に関心を持っていたことで知られる作家 のコナン・ドイル は、1899年 にパイパーがトランス状態で「世界各地で恐ろしい戦乱が生じます」と語ったことを、1914年 開戦の第一次世界大戦 を示したことだと著書『The new revelations』で述べており[ 10] 、パイパーをダニエル・ダングラス・ホーム と並ぶ世界最高級の霊媒の1人として高く評価している。
ただしSPRの初代会長であるヘンリー・シジウィック らは、ホジソンの旧友の霊が交霊会参加者について語ったとされる件を、パイパーがテレパシー で参加者たちの思考を読み取ったとの解釈できるなどの理由で(超ESP仮説 )、本件を心霊主義の確固たる証拠と認めることはなかった[ 3] 。パイパーの支配霊 の1人はフランス人 の医師の霊とされるが、フランス語 をほとんど話すことができず、医学の知識もなかったとの批判もある[ 4] 。ホジソンがパイパーの調査を開始した際も、同席していたウィリアム・ジェームズがパイパーの指導霊と話す際、ジェームズが少しでも流暢なフランス語を話すと、この霊は返答に詰まったという[ 3] 。また、ホジソンが2人の子供をもうけて長生きすると予言したが、これも当たることはなかった[ 4] 。
脚注
参考文献