マーク・ナウシーフ

マーク・ナウシーフ
Mark Nauseef
生誕 (1953-06-11) 1953年6月11日(71歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州コートランド
ジャンル ロックジャズワールドミュージック
職業 ミュージシャン
担当楽器 ドラム、パーカッション、ボーカル
活動期間 1971年 -
共同作業者 エルフイアン・ギラン・バンド、G-Force、シン・リジィゲイリー・ムーア
公式サイト www.marknauseef.com

マーク・ナウシーフ[1]Mark Nauseef1953年6月11日 - )は、ニューヨーク州コートランドに住んでいるドラマーにしてパーカッショニスト。イアン・ギラン・バンドのメンバーとして過ごし、ブライアン・ダウニーが短期間ながら脱退したとき一時的にシン・リジィと一緒に演奏するなど、1970年代のロック音楽に至るまで、さまざまなキャリアを楽しんできた[2]。最近では幅広い音楽スタイルに対応し、世界中の著名なミュージシャンたちと共演している。

略歴

ナウシーフは1972年にヴェルヴェット・アンダーグラウンドのツアー・メンバーとしてイギリスでの短いツアーに同行した後、1975年の初めにロニー・ジェイムス・ディオが率いるエルフに加わったが、グループはその後まもなくして解散した。エルフのキーボード奏者であったミッキー・リー・ソウルを伴って、ナウシーフは元ディープ・パープルの歌手イアン・ギランによる彼の新しいフュージョン・グループ、イアン・ギラン・バンドに加わった。3枚のアルバムを発表後、ギランは1978年にグループを解散した。ナウシーフはシン・リジィのドラマーであるブライアン・ダウニーの代わりに2度の世界ツアーを行い、その後、ゲイリー・ムーアの短命バンド、G-Forceに参加した。

1980年代に、ナウシーフはロック音楽から、ジャワバリガムランインドガーナを起源とする音楽など、さまざまなスタイルに移行した。いくつかのソロ・アルバムをリリースし、さまざまなプロジェクトで他の多くのミュージシャンと協力してきた。

ナウシーフは、ヨアヒム・キューン、ゲイリー・ムーア、ジャック・ブルースビル・ラズウェルグレン・ヒューズラビ・アブ・カリルトリロク・グルトゥスティーヴ・スワロウL.シャンカールハムザ・エル・ディーン、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ジョエル・レアンドレ、イクエ・モリ、ロニー・ジェイムス・ディオ、マルクス・シュトックハウゼン、Kyai Kunbul(ジャワのガムラン奏者)、アンディ・サマーズトニー・オクスレイトーマス・スタンコケニー・ホイーラーエドワード・ヴェサラの「サウンド・アンド・フューリー」、テルマ・ヒューストン、デヴィッド・トーン、The Ladzekpo Brothers(ガーナの音楽とダンス)、チャーリー・マリアーノ、The Gamelan Orchestra of Saba(バリのガムラン)、クツィ・エルグネル、フィル・ライノットジョージ・ルイスエヴァン・パーカールー・ハリソンなどのアーティストと共演および/またはレコーディングを行っている。これらのプロジェクトのほとんどを通して、ナウシーフはワルター・クインタスと協力してきた。

ナウシーフはカリフォルニア芸術大学に通い、K.R.T. Wasitodiningratからジャワのガムランを、I Nyoman Wentenからバリのガムランを、Pandit Taranath Raoから北インドのパカワジのドラミングを、Pandit Amiya Dasguptaから北インドの音楽理論を、KoblaとAlfred Ladzekpoからガーナの太鼓とダンスを、Dzidzorgbe LawluviとC.K. Ganyoから20世紀の西洋のパーカッション・テクニックを、ジョン・ベルガモからハンドドラムを学んだ。また、中東、インド、コーカサスのフレームドラムの技術についてグレン・ヴェレズに師事した。ナウシーフが非常に創造的で生産的な関係を深めるようになり始めたのもカリフォルニア芸術大学であり、それは音楽的な「分身」であるギタリストのミロスラフ・タディッチとともに今日まで続いている。彼らは一緒に、デュオから世界中のミュージシャンたちとの大規模なアンサンブルまで、幅広い音楽を作曲、録音、プロデュースしてきた。

ナウシーフは音楽プロデューサーとしても功績を残している。自身のレコーディングに加えて、現代の実験的な形式から伝統的な形式までを含む様々なタイプの音楽に関する多くのレコードをプロデュースしてきた。伝統音楽のプロデュースには、ジャワで録音され、Wasitodiningratの作曲による作品をフィーチャーし、高く評価され、受賞歴のある『The Music of K.R.T. Wasitodiningrat』など、伝統的なバリ音楽とジャワ音楽の多数の録音が含まれている。他の例としては、バリで録音されたバリのアンサンブルによる録音『Gamelan Batel Wayang Ramayana』『Gender Wayang Pemarwan』がある。これらの録音やその他のインドネシア音楽の多くは、CMP3000「ワールド・シリーズ」のためにクルト・レンケルとワルター・クインタスのプロデュース・チームと共にプロデュースされた。ナウシーフが設立に尽力した「ワールド・シリーズ」は、CMPのオーナー兼プロデューサーであるクルト・レンケルにより設立され、インド、トルコ韓国インドネシアなど、さまざまな非西欧諸国からのレコーディングをプロデュースしている。

ディスコグラフィ

リーダー・アルバム

  • Information (1981年) ※Information名義。with ヨアヒム・キューン、ジョージ・コックベック
  • 『パーソナル・ノート』 - Personal Note (1982年) ※with ヨアヒム・キューン、トリロク・グルトゥヤン・アッカーマン、デトレフ・バイアー
  • 『SURA』 - Sura (1983年) ※with ヨアヒム・キューン、マルクス・シュトックハウゼン、トリロク・グルトゥ、デトレフ・バイアー、デヴィッド・トーン
  • 『ワン・ワン』 - Wun Wun (1983年) ※with ジャック・ブルース、トリロク・グルトゥ
  • 『ダーク』 - Dark (1986年) ※ダーク名義
  • 『タムナ・ヴォーダ』 - Tamna Voda (1989年) ※ダーク名義。with L. シャンカール、デヴィッド・トーン
  • Bracha (1989年) ※with ミロスラフ・タディッチ、デヴィッド・フィリップソン、ジョン・ベルガモ
  • 『レッツ・ビー・ジェネラウス』 - Let's Be Generous (1991年) ※with ヨアヒム・キューン、トニー・ニュートン、ミロスラフ・タディッチ
  • 『スネイク・ミュージック』 - The Snake Music (1994年) ※with ミロスラフ・タディッチ
  • With Space in Mind (1994年) ※ソロ・パーカッション
  • 『故郷』 - The Old Country (1996年) ※with ミロスラフ・タディッチ、ハワード・レヴィ
  • 『スティル・ライト』 - Still Light (For Paracelcus) (1997年) ※with ミロスラフ・タディッチ、マルクス・シュトックハウゼン
  • Loose Wires (1997年) ※with ミロスラフ・タディッチ、ミシェル・ゴダール
  • Venus Square Mars (2000年) ※with デヴィッド・フィリップソン、ハムザ・エル・ディーン
  • Gazing Point (2002年) ※with クツィ・エルグネル、マルクス・シュトックハウゼン
  • Evident (2004年) ※with ジョエル・レアンドレ
  • Snakish (2005年) ※with ワダダ・レオ・スミス、ミロスラフ・タディッチ、ワルター・クインタス、カチャ・クインタス
  • Albert (2006年) ※with イクエ・モリ、ワルター・クインタス、シルヴィー・クルボアジェ
  • No Matter (2008年) ※with ビル・ラズウェル、マルクス・シュトックハウゼン、クツィ・エルグネル
  • Near Nadir (2011年) ※with イクエ・モリ、エヴァン・パーカー、ビル・ラズウェル
  • 『スペーシズ&スフィアーズ〜直観的な音楽』 - Spaces & Spheres (2013年) ※with ステファノ・スコダニッビオ、タラ・バウマン、ファブリツィオ・オッタヴィウッチ、マルクス・シュトックハウゼン
  • As The Wind (2016年) ※with エヴァン・パーカー、トマ・ゴーバンド
  • All In All In All (2018年) ※with アルトゥール・ヤルヴィネントニー・オクスレイパット・トーマス、シルヴィー・クルボアジェ、ワルター・クインタス、ビル・ラズウェル、ミロスラフ・タディッチ

参加アルバム

ジャック・ブルース

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド

  • Final V.U. 1971-1973 (2001年) ※ディスク3のみ

エルフ

  • 『バーン・ザ・サン』 - Trying to Burn the Sun (1975年)

イアン・ギラン・バンド

  • 『チャイルド・イン・タイム』 - Child In Time (1976年)
  • 『鋼鉄のロック魂』 - Clear Air Turbulence (1977年)
  • 『魔性の勇者』 - Scarabus (1977年)
  • 『ライヴ・イン・ジャパン』 - Live At The Budokan (1978年)

シン・リジィ

  • The Boys Are Back in Town: Live in Australia (1978年)

G-Force

フィル・ライノット

  • 『ソロ・イン・ソーホー』 - Solo in Soho (1981年)
  • 『ザ・フィリップ・ライノット・アルバム』 - The Philip Lynott Album (1982年)

その他

映像作品

  • Kibyoshi ※イクエ・モリ with 巻上公一 (2011年) ※黄表紙プロジェクトの映像化作品
  • Unlimited 23 (2011年) ※ライブ with イクエ・モリ、シルヴィー・クルボアジェ、内橋和久、巻上公一、ロッテ・アンカー、マヤ・ラヒェ、ジーナ・パーキンス、デヴィッド・ワトソン、ピーター・エヴァンス
  • 『ジュリア・幽霊と遊ぶ女』 - The Haunting of Julia (1976年) ※映画。オリジナル・タイトルは『Full Circle』。ミア・ファローキア・デュリアトム・コンティ出演。コリン・タウンズ作曲
  • Live At The Rainbow (1984年) ※イアン・ギラン・バンド・ライブ

参考文献

  • Arcana V: Musicians on Music, Magic & Mysticism, Hips Road: New York (ISBN 0978833791), Edited by John Zorn with writings by Meredith Monk, Fred Frith, Terry Riley, Pauline Oliveros, Alvin Curran, Gavin Bryars, a.o., 2010
  • The Drum and Percussion Cookbook: Creative Recipes for Players and Teachers, Meredith Music / Hal Leonard (ISBN 1574631012), Edited by Rick Mattingly with writings by Peter Erskine, Bill Bruford, Valerie Dee Naranjo, Anthony Cirone, Robin Engelman, Bill Cahn, She-e Wu, John Beck, Glenn Kotche, a.o., 2008
  • Shamanism and Tantra in the Himalayas, Inner Traditions (ISBN 0892819138) by Claudia Müller-Ebeling, Christian Rätsch and Surendra Bahadur Shahi, 2002
  • Practicing and Making Music...Without Your Instrument, Published in The Percussive Arts Society journal PERCUSSIVE NOTES (Oct. 1992)
  • Music Practice as Meditation, Published in The Percussive Arts Society journal PERCUSSIVE NOTES (Feb. 2007)

脚注

  1. ^ マーク・ナウセフ」の表記もある。
  2. ^ NY Times: Thin Lizzy: The Boys Are Back in Town”. nytimes.com. 2010年2月20日閲覧。

外部リンク

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