代表作「マニッシュ・ボーイ」(1955年 CHESS RECORD)
マッキンリー・モーガンフィールド (McKinley Morganfield )、別名マディ・ウォーターズ (Muddy Waters 、1913年 4月4日 - 1983年 4月30日 )は、アメリカ合衆国 のブルース ・シンガー 、ギタリスト 。シカゴにおいてエレクトリック・ギター を使ったバンド・スタイルのブルースを展開し、シカゴ・ブルース の形成に大きな足跡を残したことから、「シカゴ・ブルースの父 」と称される。生涯に6度グラミー賞 を受賞し[2] 、没後の1987年にはロックの殿堂 入りを果たした[3] 。
その豊富で深遠な声、豪快なボトルネック・ギター 、カリスマ的キャラクターで、ブルース界の第一人者となった。ロック 界においても、ローリング・ストーンズ 、エリック・クラプトン 、ロリー・ギャラガー 、ポール・ロジャース 、ジョン・メイオール 、フリートウッド・マック など、彼から影響を受けたミュージシャンは枚挙にいとまがなく、その影響力は計り知れない。
生涯
デビューまで
クラークスデイル 郊外ストーヴァル (英語版 ) のプランテーション にて幼少期を過ごす。泥んこになって遊ぶのが大好きだったことから、「マディ・ウォーターズ(泥水)」のニックネームで呼ばれるようになった。7歳でハーモニカ を始め、のちにギターに転向。当時の彼のアイドルは、サン・ハウス (英語版 ) 、ロバート・ジョンソン らであった。なお、1915年ミシシッピ州 ローリング・フォーク (英語版 ) 生まれとされてきたが、近年の研究[4] により1913年にミシシッピ州のイサケナ郡 とするのが定説となっている。
1941年8月、アメリカ議会図書館 のフィールド・レコーディングのためにミシシッピ州を訪れたアラン・ローマックス が、ストーヴァルでウォーターズをレコーディングする。これが彼の初レコーディングとなった。1943年、イリノイ州 シカゴ に移住。1946年にはコロンビアでレコーディングを行っている。
チェス・レコードでの活躍
1947年、サニーランド・スリム (英語版 ) に誘われ、アリストクラット・レーベル (英語版 ) (後のチェス・レコード )のレコーディングに参加。これは、スリムのバッキングをするためであったが、マディも「ジプシー・ウーマン」(英語 : Gypsy Woman )、「リトル・アンナ・メイ」(英語 : Little Anna Mae )の2曲をレコーディングした。これが彼のレーベルからのデビュー盤となった。このときの編成はスリムのピアノ、ビッグ・クロフォード (英語版 ) のベースのみをバックにつけたもので、まだバンド・スタイルではなかった。
バンド・スタイルでレコーディングするようになったのは、1950年のパークウェイ・レーベルのセッションから。リロイ・フォスター (英語版 ) とリトル・ウォルター がヴォーカルを取るセッションではあったが、初めてウォルターがハーモニカをプレイするなど、実質的にマディ・ウォーターズ・バンドの始動とも言える内容であった。パークウェイに負けじと、続いてチェスもマディをバンド・スタイルでレコーディングするようになった。1953年にはオーティス・スパン 、1954年にはウィリー・ディクスン がレコーディングに加わるようになり、マディのバンドの形が完成する。同年、「フーチー・クーチー・マン (英語版 ) 」、「恋をしようよ 」、「アイム・レディ 」など、彼の代表曲となる曲がレコーディングされた。1955年にも「マニッシュ・ボーイ 」などがヒットする。1958年には、初のイギリス ・ツアーを体験する。
1963年、アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル (英語版 ) 出演のために渡欧。翌年、当時のフォーク・ブームに乗る形でアルバム『フォーク・シンガー (英語版 ) 』をリリースした。同作には、ギターにバディ・ガイ が参加している。この年もフェスティバルのために再度渡欧した。
1968年、異色作『エレクトリック・マッド 』をリリース。これは、ロック・ファンにアピールするために、大胆にサイケデリック なアレンジを施した作品であった。ロックへの傾向は続く1975年の『ウッドストック・アルバム (英語版 ) 』でさらに顕著となる。ここではザ・バンド のリヴォン・ヘルム 、ガース・ハドソン 、ポール・バターフィールド などロックミュージシャンが参加している。
翌1976年には、ザ・バンドの解散コンサート「ラスト・ワルツ 」に出演。ザ・バンドをバックに「マニッシュ・ボーイ」を歌う様子は、同名のドキュメント映画に記録されている。しかし彼の出演に関してはコンサートの2日前になり、マネジメント側は出演者が多すぎるとの理由で削る意向を示していた。ヘルムがこれに強硬に反対したため、結果的に予定通り出演することとなった[5] 。
ブルー・スカイへの移籍以降
1977年、ジョニー・ウィンター と組んでブルー・スカイ よりアルバム『ハード・アゲイン 』をリリース。また、同年リリースされたウィンターのアルバム『ナッシン・バット・ザ・ブルース 』のレコーディングに参加。以後、ウィンターのサポートを得て1981年までに計4枚のアルバムをリリースした。
1980年5月に来日し、新宿厚生年金会館 、サンケイホール 、愛知県勤労会館 、渋谷公会堂 を回った。これが唯一の来日ツアーであった。
1983年、イリノイ州ウェストモント (英語版 ) にて70歳で死去。シカゴ近郊のオールシップ (英語版 ) にあるレストヴェール墓地 (英語版 ) に埋葬された。
評価
エピソード
「
1964年、チェススタジオでレコーディングした時の話さ。
白いオーバーオールを着てハシゴに乗っかってるおっさんを紹介されたんだ。
誰だ?ってその顔を見たら、マディ・ウォーターズだったのさ!
なんと!あのマディ・ウォーターズが俺達のスタジオのペンキ塗りをしてたんだぜ!
どうやらチェスじゃレコードの売れない奴はどんな仕事でもしなきゃいけないみたいだった。
俺達が何曲もカバーして神様だと思ってる男が天井にペンキを塗ってるんだぜ!
」
「
ある日俺は新車の遠乗りがしたくなって、シカゴに親戚がいるという友達のラルフと2人でシカゴへとドライブしたんだ。
ラルフの親戚の家でご馳走になった後、俺達はシカゴのサウスサイドでブルースの生演奏が聴けるクラブをハシゴしてまわった。
そこでハウリン・ウルフ 、エルモア・ジェームス のステージを観たんだ。
とても感動したし、興奮して聴き入ったよ!
そして、今度は憧れのマディ・ウォーターズが出演するクラブへ行ったんだ!
マディは最後のセットのラストナンバー「ガット・マイ・モジョ・ワーキング (英語版 ) 」を演奏中だった。
演奏が終わると群がるファンをかきわけ、マディのサインを貰うために突進してくれたラルフのおかげで、俺はマディと口をきくチャンスができた。
大統領か法王にお目通りするような気分だった俺は、曲の素晴らしさを褒めた後、単刀直入に「レコードを作るにはどうすればいいのか?」って聞いてみた。
大勢のファンが声をかけようとひしめく中で、マディは俺の質問に答えてくれたんだ。
「レナード・チェス (英語版 ) に会ってみろ!そう、47丁目とカテッジの角にあるチェスレコードさ!」
俺に音楽を愛する事を教えてくれた人。
俺の音楽に最も大きな影響を与えた人。
それがブルース界のゴッドファーザー、マディだ!
」
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
1960年 Sings Big Bill Broozy (Chess )
1964年 Folk Singer (Chess)
1967年 Brass and The Blues (Chess)
1968年 Electric Mud (Chess)
1969年 After the Rain (Chess)
1969年 Fathers and Sons (Chess)
1971年 The London Muddy Waters Sessions(Chess)
1973年 Can't Get No Grindin'(Chess)
1974年 "Unk" in Funk (Chess)
1974年 London Revisited (Chess)
1975年 Woodstock Album (Chess)
1977年 Hard Again (Blue Sky )
1978年 I'm Ready (Blue Sky)
1981年 King Bee (Blue Sky)
主なライブ・アルバム
1960年 At Newport 1960 (Chess)
1969年 Fathers and Sons (Chess)
1971年 Live at Mr. Kelly's (Chess)
1979年 Muddy "Mississippi" Waters – Live (Blue Sky)
主なコンピレーション・アルバム
1958年 The Best of Muddy Waters (Chess、1948年 – 1954年録音) – シングル曲を集めたものだが、『Sings Big Bill Broozy 』以前に発売された実質上のファースト・アルバムである[11] 。
1966年 The Real Folk Blues (Chess、1947年 – 1964年録音)
1967年 More Real Folk Blues (Chess、1948年 – 1953年録音)
関連項目
脚注
^ a b c d Deming, Mark. Muddy Waters Biography, Songs, & Albums - オールミュージック . 2022年5月9日 閲覧。
^ a b “Muddy Waters | Artist ”. GRAMMY.com . 2020年12月9日 閲覧。
^ a b “Muddy Waters ”. Rock & Roll Hall of Fame . 2020年12月9日 閲覧。
^ Gordon, Robert(2002). 「Can't Be Satisfied: The Life and Times of Muddy Waters」 ISBN 0-316-32849-9 、3-5頁。
^ ザ・バンド : 軌跡, リヴォン・ヘルム 著, ステファン・デイヴィス 補筆, 菅野彰子 訳 (音楽之友社 ), 1994年
^ “Biography ”. Muddy Waters Official . 2020年12月9日 閲覧。
^ “100 Greatest Singers of All Time: Aretha, Elvis, Lennon, Dylan ”. Rolling Stone . 2020年12月9日 閲覧。
^ “100 Greatest Artists ”. Rolling Stone . 2020年12月9日 閲覧。
^ “100 Greatest Guitarists ”. Rolling Stone . 2020年12月9日 閲覧。
^ Browne, David (2017ー09ー08). “The Rolling Stones in Rolling Stone: Anniversary Flashback - Rolling Stone ”. Rolling Stone . 2020年12月8日 閲覧。
^ UMe (2017年10月10日). “Muddy Waters' Seminal Debut LP "The Best Of Muddy Waters" To Be Reissued On Vinyl For First Time In 30 Years On November 10 Via Geffen/UMe ”. PR Newswire . 2020年12月9日 閲覧。
外部リンク