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この項目では、メキシコのプロボクサーについて説明しています。その他の用法については「ファン・ディアス」をご覧ください。 |
ファン・ディアス(Juan Díaz、1983年9月17日 - )は、アメリカ合衆国のプロボクサー。テキサス州ヒューストン出身。元WBA スーパー・IBF・WBO世界ライト級統一王者。
ベビーフェイスながら時折、大声を発しながら激しい連打を見せることから「Baby Bull(ベビー・ブル)」の異名を持つ。
来歴
2000年6月23日、16歳でプロデビュー。デビューから3戦ほどはメキシコで試合をしていたが直ぐに生まれ故郷のアメリカ合衆国に主戦場を移す。
若手ながらデビュー以来無敗で2003年11月22日、ジョエル・ペレスを6回TKOで倒しWBC世界ライト級ユース王座を獲得した。
2004年7月17日、WBA世界ライト級王者ラクバ・シンと対戦。この試合はファン・ディアスの若さ、経験不足を指摘しラクバ・シン有利の予想が多かったが、結果はディアスが3-0の12回判定で勝利し、王座獲得に成功した。
2006年4月8日、ミゲール・コットの兄ホセ・ミゲール・コットと対応、これもディアスが勝利し3度目の防衛に成功した。
2007年4月28日、WBO世界ライト級王者のアセリノ・フレイタスと王座統一戦を行い、フレイタスの8回終了時棄権によるTKO勝ちを収め、王座統一に成功した。そのため、WBAよりスーパー王座の認定を受けた。
2007年10月13日にIBF世界ライト級王者のフリオ・ディアスと王座統一戦を行い、9回TKOで勝利して全勝のまま3団体の王座統一に成功した。
2008年3月8日、メキシコキンタナ・ロー州カンクンのプラザ・デ・トロスでネート・キャンベルと対戦し、判定で敗れ、初黒星を喫すると共に3団体統一ライト級王座から陥落した。
2008年9月6日、ヒューストンのトヨタセンターでマイケル・カティディスとIBO世界ライト級王座決定戦を行い2-1(115-113、116-112、113-115)の判定勝ちを収め、王座を獲得した。
2009年2月28日、ヒューストンのトヨタセンターでファン・マヌエル・マルケスと対戦し、9回TKO負けを喫しIBO王座から陥落した。同月14日にバンクアトランティック・センターでアリ・フネカと対戦予定だったIBF・WBO世界ライト級王者ネート・キャンベルが前日計量で体重超過がありIBF王座とWBO王座を剥奪され、フネカが勝てば特例措置でWBA・IBF・WBOの3団体統一王者となる条件で行われた試合でキャンベルが勝ちIBF王座とWBO王座が空位となった。しかしIBFがこの試合を王座決定戦としては行わないことを決定。WBOがこの試合をWBO世界ライト級王座決定戦として行い、WBAもWBA世界ライト級スーパー王座決定戦として行うと決定していた為、この試合に勝っていたらWBAスーパー王座とWBO王座に返り咲いていた[要出典]。
2009年8月22日、ヒューストンのトヨタセンターでNABO北米スーパーライト級王座決定戦をポール・マリナッジと争い、12回3-0(118-110、115-113、116-112)の判定勝利で再起とともに同王座を獲得した[1]。
2009年12月12日、シカゴのUICパビリオンでポール・マリナッジと再戦し、0-3( 3者とも111-116)の判定負けを喫し王座から陥落した。
2010年7月31日、ラスベガスのマンダレイ・ベイ・イベント・センターでファン・マヌエル・マルケスと再戦し、12()0-3(111-117、112-116、110-118)の判定負けを喫しWBAスーパー王座とWBO王座の再獲得に失敗、試合後に引退を表明した。
2013年4月13日、引退を撤回し約3年ぶりの試合を6回TKO勝利で飾った。
2015年5月1日、テレンス・クロフォードの返上したWBO世界ライト級王座決定戦で粟生隆寛と対戦予定だったが、スパーリング中に相手のボディーへ左フックを放った際に左肩の回旋筋腱板を断裂したため欠場となった。手術を受け、全治6ヶ月の診断を受けた[2][3]。
2016年3月19日、1年半ぶりの試合をテキサス州で行い、9回TKO勝利を収めた。
獲得タイトル
脚注
関連項目
外部リンク