ファビオ・コエントラン
名前 本名
ファビオ・アレシャンドレ・ダ・シルヴァ・コエントラン Fábio Alexandre da Silva Coentrão ラテン文字
Fabio Coentrao 基本情報 国籍
ポルトガル 生年月日
(1988-03-11 ) 1988年 3月11日 (36歳) 出身地
ヴィラ・ド・コンデ 身長
178cm 体重
70kg 選手情報 ポジション
DF (LSB) 利き足
左足 ユース 2004-2006
リオ・アヴェ クラブ1 年
クラブ
出場
(得点) 2005-2007
リオ・アヴェ
29
(5) 2007-2011
ベンフィカ
52
(2) 2008
→ ナシオナル (loan)
16
(4) 2008
→ サラゴサ (loan)
1
(0) 2009
→ リオ・アヴェ (loan)
16
(3) 2011-2018
レアル・マドリード
58
(1) 2015-2016
→ モナコ (loan)
15
(3) 2017-2018
→ スポルティングCP (loan)
25
(1) 2018-2019
リオ・アヴェ
21
(0) 2020-2021
リオ・アヴェ
13
(2) 代表歴2 2005
ポルトガル U-18
1
(0) 2006-2007
ポルトガル U-19
10
(5) 2007
ポルトガル U-20
7
(4) 2009
ポルトガル U-21
7
(6) 2010
ポルトガル U-23
1
(0) 2009-2017
ポルトガル
52
(5)
1. 国内リーグ戦に限る。2020年10月25日現在。 2. 2017年9月3日現在。■テンプレート (■ノート ■解説 )■サッカー選手pj
ファビオ・アレシャンドレ・ダ・シルヴァ・コエントラン (Fábio Alexandre da Silva Coentrão, 1988年 3月11日 - )は、ポルトガル ・ヴィラ・ド・コンデ 出身の元サッカー選手 。ポジションはディフェンダー 。
経歴
クラブ
リオ・アヴェ
2004年、16歳の時に地元のリオ・アヴェFC の下部組織に入団し、2005年にトップチームに昇格した。2005-06シーズンのクラブは低迷してリーガ・デ・オンラ (2部)降格となったが、2006-07シーズンにレギュラーの座を掴んだ。チームはあと一歩のところでプリメイラ・リーガ (1部)昇格を逃したが、タッサ・デ・ポルトガル では快進撃を続け、スポルティングCP 戦 (2-1) では30mの距離からのミドルシュートを決めた。シーズン終了後にはリーガ・デ・オンラのブレイクスルー・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれ[1] 、スポルティングCPやSLベンフィカ を含む多くのクラブがコエントラン獲得に興味を示した。
ベンフィカ
2007年7月、SLベンフィカ に移籍した。2007-08シーズン前半戦はわずかな出場機会しか与えられず、2008年1月1日にマデイラ諸島 のCDナシオナル に半年間の契約でレンタル移籍した。5月3日のFCポルト 戦 (3-0) では2得点し、既にリーグ優勝を決めていたFCポルトから金星を挙げた。2008年夏にはオランダのフェイエノールト にレンタル移籍する寸前であったが[2] 、最終的にはスペインのレアル・サラゴサ にレンタル移籍した[3] 。2部に降格したばかりのサラゴサでもほとんど出場機会を得られず、2009年1月には古巣リオ・アヴェFC にレンタル移籍した。2月15日のFCポルト戦では独力での突破から得点したが、試合には1-3で敗れた。
2009年夏にベンフィカに復帰し、12月2日のUEFAヨーロッパリーグ ・BATEボリソフ 戦 (2-1) では欧州カップ戦初得点を挙げた[4] 。2009-10シーズンからは新監督に就任したジョルジェ・ジェズス により本来のサイドハーフ から左サイドバック にコンバート され、これが転機となり、公式戦通算43試合(2851分)に出場して飛躍的な成長を遂げたシーズンとなった。プリメイラ・リーガ とタッサ・ダ・リーガ の2冠を獲得し、個人的にはリーグのブレイクスルー・プレイヤー・オブ・ザ・イヤー (Breakthrough Player of the Year ) を受賞した[5] 。2010年9月27日、クラブとの契約を2016年まで延長した[6] 。10月2日のUEFAチャンピオンズリーグ ・リヨン 戦 (4-3) では、ベンフィカ復帰後初の1試合2得点を達成した[7] 。
レアル・マドリード
2011年7月5日、レアル・マドリード と6年契約を結んだ。移籍金は3000万ユーロ[8] [9] 。この契約とは関係なく、エセキエル・ガライ がSLベンフィカ に移籍した[10] 。7月16日、ロサンゼルス・ギャラクシー とのプレシーズンマッチでデビューし、カリム・ベンゼマ の得点をアシストしてマン・オブ・ザ・マッチに選出された[11] 。スーペルコパ・デ・エスパーニャ のFCバルセロナ 戦ファーストレグが公式戦デビュー戦となり、2-2と拮抗していた後半途中にサミ・ケディラ との交代で途中出場した。この試合はセンターハーフとして出場したが、セカンドレグは左サイドバックとして先発出場した。8月28日、古巣レアル・サラゴサ戦でリーグデビューし、センターハーフとしてフル出場した[12] 。
ASモナコ
レアル・マドリードでは4シーズンで15回の負傷に苦しみ[13] 、またマルセロ の控えに甘んじていたことから2015年8月26日にASモナコ へレンタル移籍した。契約期間は1年間。モナコでは出場機会に恵まれ、コエントラン本人も一時はモナコへの完全移籍を示唆するコメントも残していたが[14] 、2016年4月の練習中に太ももに重傷を負い、手術を受けたことから全治は最大で6カ月前後とされ、モナコでの終盤戦およびUEFA EURO 2016 も欠場することになった[15] 。
スポルティングCP
2017年7月5日、スポルティングCPへのレンタル移籍が発表された[16] 。契約期間は、2018年6月30日までとなっている。2017-2018シーズンは公式戦44試合に出場して復調をアピールしたが、シーズン終了後にスポルティングは完全移籍に動かず、2018年7月、レンタル契約満了に伴い、レアル・マドリードに復帰。
リオ・アヴェ復帰
しかしレアル・マドリードでは事実上の戦力外となっており、2018年8月には一時は行方不明とも報じられた[17] 。数日後にコエントランは報道を否定し、レアル・マドリードの練習場で練習に参加していることを明かした[18] 。契約期間も残り1年間となっていたことから、レアル・マドリードは8月31日、両者合意の上で契約解消したことを発表した[19] 。同日、古巣のリオ・アヴェFC はコエントランの復帰を発表した(契約詳細は非公表[20] )。2018-19シーズンでイエローカード11枚とレッドカード2枚を受けたコエントランは、2019年6月30日に放出されたが、2019-20シーズンの開始に先立って新しいクラブを見つけることが出来ず[21] に翌年1月29日に現役引退を表明した[22] が、10月6日にリオ・アヴェが再び獲得を発表[23] 。チームに復帰した。7月に契約満了迎え退団した後は事実上引退状態にあったが、2022年、ポルトガルのYouTube チャンネルのインタビューで、現在は現役を引退し漁師として働いていることを明かした[24] 。
代表
ポルトガル代表でのコエントラン
アルゼンチン代表 との親善試合でアンヘル・ディ・マリア (右)をマークするコエントラン(左) (2011年2月9日)
世代別代表
世代別ポルトガル代表の常連であり[25] 、2007年にU-20ポルトガル代表として出場したマデイラ・カップ (Madeira Cup) では得点王とMVPに輝いた[26] 。同年にはFIFA U-20ワールドカップ にも出場し、U-21ポルトガル代表デビューも果たした。
フル代表
2009-10シーズン序盤はクラブで先発出場することは稀だったが、出場した試合では安定したプレーを見せたため、2009年11月に初めてポルトガル代表 に選出された。11月14日にエスタディオ・ダ・ルス で行われた2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 のボスニア・ヘルツェゴビナ 戦でデビューし、後半から出場してデビュー戦を1-0の勝利で飾った。カルロス・ケイロス 監督によって2010 FIFAワールドカップ 出場メンバーにも選ばれ、セルジオ・ドゥダ などを差し置いて左サイドバックの定位置をつかむと、決勝トーナメント1回戦で敗退するまで全試合に出場した。
2011年8月10日のルクセンブルク との親善試合で代表初得点を挙げた。
2017年9月3日にブダペスト で行われた2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選グループB ・ハンガリー 戦では697日ぶりにポルトガル代表としての出場を果たしたが、これが自身にとって最後の代表戦となった[27] 。
個人成績
クラブ
クラブ
シーズン
国内リーグ
国内カップ1
国内リーグカップ
欧州カップ
通算
出場
得点
アシスト
出場
得点
アシスト
出場
得点
アシスト
出場
得点
アシスト
出場
得点
アシスト
リオ・アヴェ
2004-05
1
0
0
0
0
0
—
—
1
0
0
2005-06
3
1
0
1
0
0
—
—
4
1
0
2006-07
25
4
0
2
0
0
—
—
27
4
0
通算
29
5
0
3
0
0
0
0
0
0
0
0
32
5
0
ベンフィカ
2007
3
0
0
0
0
0
3
0
0
1
0
0
7
0
0
通算
3
0
0
0
0
0
3
0
0
1
0
0
7
0
0
ナシオナル
2008
16
4
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
16
4
1
通算
16
4
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
16
4
1
レアル・サラゴサ
2008
1
0
0
0
0
0
—
0
0
0
1
0
0
通算
1
0
0
0
0
0
—
0
0
0
1
0
0
リオ・アヴェ
2009
16
3
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
16
3
2
通算
16
3
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
16
3
2
ベンフィカ
2009-10
26
0
9
2
1
0
4
1
0
13
1
1
45
3
10
2010-11
23
2
2
5
1
0
2
0
0
14
2
1
44
5
2
通算
49
2
11
7
2
0
6
1
0
27
3
1
89
8
12
レアル・マドリード
2011-12
20
0
2
5
0
0
—
8
0
0
33
0
2
2012-13
16
1
1
6
0
0
—
8
0
0
30
1
1
通算
36
1
3
11
0
0
—
16
0
0
63
1
3
通算
150
15
17
22
2
0
9
1
0
44
3
2
225
21
19
1 スーペルコパ・デ・エスパーニャ などの大会を含む
代表
ポルトガル代表 国際Aマッチ
年 出場 得点
2009
1
0
2010
10
0
2011
8
1
2012
12
0
2013
11
1
2014
5
2
2015
4
1
2016
0
0
2017
1
0
通算
52
5
代表での得点
タイトル
クラブ
SLベンフィカ
レアル・マドリード
スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガル
個人
リーガ・デ・オンラ ブレイクスルー・プレイヤー・オブ・ザ・イヤー:2006-2007
プリメイラ・リーガ ブレイクスルー・プレイヤー・オブ・ザ・イヤー:2009-2010
プリメイラ・リーガ 月間最優秀若手選手:2009年10月, 2010年3月, 2010年4月, 2010年10月
脚注
関連項目
外部リンク