ファニタ・ハンセン (Juanita Hansen , 1895年 3月3日 - 1961年 9月26日 )は、アメリカ合衆国 の女優 である[1] 。ワーネッタ・ハンソン (Wahnetta Hanson )ともクレジットされた[1] 。「ザ・クイーン・オヴ・スリルズ」(The Queen of Thrills, 「スリルの女王」の意)の異名を持つ[1] 。
人物・来歴
1895年 (明治28年)3月3日 、アイオワ州 デモイン に生まれる[1] 。
満19歳を迎える1914年(大正3年)、 The Patchwork Girl of Oz , The Magic Cloak といった『オズの魔法使い 』の原作者ライマン・フランク・ボーム が製作に携わったオズ・フイルム・カンパニーの作品に出演しているのが、もっとも古い映画への出演記録である[1] 。1915年(大正4年)ころにはD・W・グリフィス の監督する映画に参加し、同年、アラン・ドワン 監督の The Love Route に出演している[1] 。キーストン・スタジオ に入社し、マック・セネット の一連の「ベイジング・ビューティ」映画に出演する。
スラップスティック・コメディ よりも、もっと演劇性の高い映画を求めて、1918年(大正7年)には同社を離れ、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ )へ移籍する。同社が1916年(大正5年)に設立した子会社・ブルーバード映画 で、ドロシー・フィリップス 主演、アイダ・メイ・パーク 監督の『罪の報ひ 』や、フランクリン・ファーナム 主演、リン・F・レイノルズ 監督の『錦繍の楔 』、おなじくファーナム主演、ジョセフ・ド・グラス 監督の『靈の導き 』に出演、コリン・キャンベル 監督の The Sea Flower に主演し[1] 、主演作以外はいずれも日本でも公開された[2] 。ユニヴァーサルのシリアル・フィルム に出演した後、セリグ・ポリスコープ・カンパニー やワーナー・ブラザース 、パテ 等のシリアルに出演し、当時の金額で週給1,500ドルを稼ぐスターとなるが、毎夜のパーティ、度重なる運転速度違反での検挙の挙げ句、コカイン に手を染め、中毒患者となる[1] 。1921年(大正10年)の『黄色の腕 』以降はほぼ仕事がなくなってしまう[1] 。
1928年(昭和3年)、ニューヨーク のブロードウェイ で上演された笑劇 The High Hatters に役を得る[1] [3] 。が、再び麻薬に手を染めることになる[1] 。度重なる麻薬中毒とその淵からの復活を繰り返すが、1934年(昭和9年)以降の映画の出演作はない[1] 。最後には鉄道の窓口に職を得るに至った[1] 。
1961年 (昭和36年)9月26日 、カリフォルニア州 ロサンゼルス郡 ウェスト・ハリウッド で心臓疾患のため死去した[1] 。満66歳没。同州カルヴァー・シティ にあるホーリー・クロス墓地 に眠る[4] 。
フィルモグラフィ
「ベイジング・ビューティ」。
すべて出演作である[1] 。
1910年代
The Secret of the Submarine (1916)
The Brass Bullet : 監督ベン・F・ウィルソン 、1918年
広告 (1916)
1920年代
1930年代
関連事項
註
外部リンク