ピーター・ミカミ “ピート”・ラウス (Peter Mikami “Pete” Rouse 、1946年 4月15日 - )は、アメリカ合衆国 の政治 コンサルタント 。バラク・オバマ 大統領 の首席補佐官 (臨時代理)を務めた。日系2世たる母親を持つ、日系アメリカ人 3世である。
連邦議会 にてキャリアを積み、トム・ダシュル 民主党 上院 院内総務 の首席補佐官を務めていた際の精力的な活動から、(上院議員 の定員100名にちなんで)101番目の上院議員 と呼ばれ知られるようになる。2004年 の連邦議会選挙においてダシュルが落選し議席を失うと、同選挙で初当選を果たしたばかりの新人上院議員だったバラク・オバマから説得を受け、オバマの首席補佐官に転じた。
その後、2008年の大統領選挙 でオバマが当選したことに伴って、2009年 に大統領上級顧問 としてオバマと共にホワイトハウス 入りした。2010年 10月 にシカゴ市長 選挙に出馬するため退任したラーム・エマニュエル の後を受けて、臨時に大統領首席補佐官職を兼任した。
生い立ち
1946年 4月15日 、コネチカット州 ニューヘイヴン において、ベンジャミン・アーヴィング・ラウス(Benjamin Irving Rouse)とメアリー・ミカミ・ラウス(Mary Mikami Rouse)夫妻の間に生まれる[1] 。両親は共にイェール大学 で教職に就いており、父ベンジャミンは人類学 を、母メアリーは大学内の研究所で東洋言語をそれぞれ教えていた[1] 。
母方の祖父であるジョージ・ミカミは、1885年 に東京府 からサンフランシスコ に移住し、1910年 に一時帰国した際に結婚して再度渡米し、1915年 にアラスカ州 に定住した人物である[2] 。第二次世界大戦 勃発直前にミカミ一家はロサンゼルス に移ったが、戦争の勃発と同時にアリゾナ州 の強制収容所 に送られることとなった。ちなみに母メアリーは、幼少期を日本語 のみで過ごしていたという.[3] 。
1968年 にコルビー大学 を卒業し、その際に歴史学 の学士号 を得ている。その後は、1970年 にロンドン・スクール・オブ・エコノミクス で修士号を、1977年 にハーバード大学 ケネディスクール で行政学修士 号をそれぞれ取得している。
政界での経歴
ラウスは政界、特に連邦議会 で議員スタッフとして働いてきた経歴が長く、1971年 に初めて連邦議会入りしたのを皮切りに、議員スタッフとして30年以上の経験を有している。「ワシントン・マンスリー」 (The Washington Monthly ) 誌のエイミー・サリヴァン (Amy Sullivan ) 記者によれば、その豊富な知識や能力から(上院議員の定員100名にちなんで)「101番目の上院議員」として知られるようになった[4] 。
ダシュルのスタッフとなるまで
1971年に、ジェームズ・アブレズク 下院議員 (民主党・サウスダコタ州 第2選挙区選出)のスタッフとなり、連邦議会入りを果たす
[5] 。アブレズクのスタッフとなった際に最初に与えられた仕事は、ネイティヴ・アメリカン に関連した問題だったという[5] 。
その後、アブレズクが1973年 に上院へ鞍替え当選を果たした後も[6] 、引き続きアブレズクの下で働いた。この当時、ラウスは立法担当補佐官であったが、この時共に立法担当補佐官を務めていたのが、のちに長年にわたって首席補佐官として仕えることになるトム・ダシュルであり[1] [5] 、両者は2年余りの間共に働き[5] 、親交を結んだ。
その後、アブレズクが1978年 の中間選挙 に出馬することなく引退すると、ラウスも一度連邦議会を離れ、テリー・ミラー (英語版 ) アラスカ州副知事 (共和党 )の首席補佐官となる[1] 。ミラーは、ラウスが仕えてきた政治家の中では唯一の共和党員であり、1983年 までのおよそ4年間にわたって首席補佐官職を務めた[1] 。
ミラー副知事の首席補佐官を辞任した後は、再びワシントンD.C. に戻り、1984年 には当時イリノイ州 第20選挙区選出の下院議員を務めていたディック・ダービン (英語版 ) 議員(民主党・のちに上院議員に転じ、現在は上院民主党院内幹事)の首席補佐官に就任[1] 、ダシュルの下で働くようになる1985年 までの約1年間ダービンに仕えた。
ダシュルのスタッフとして
1985年、ラウスはダービン議員の下を離れ、当時下院議員(サウスダコタ州全州選挙区選出)を務めていたダシュルのスタッフとなる[7] 。その後、1986年 の中間選挙でダシュルが上院への鞍替え当選を果たすとその首席補佐官に就任、以降2004年の選挙でダシュルが落選し議席を失うまでの19年にわたってダシュルの下で働き、彼の事務所を切り盛りした。この間ダシュルは、1994年 から落選に伴って議席を失った2005年 1月 までのおよそ11年間にわたり、上院民主党のリーダーである院内総務を務めた。
2001年 10月15日 に、ハート上院議員会館 (英語版 ) にあったダシュルの議員事務所に炭疽菌 入りの郵便物が送り付けられる事件が発生した際(アメリカ炭疽菌事件 )、警察に当該郵便物が送られてきたことを通報したのはラウスである[8] 。ちなみにこの時、ダシュル事務所のスタッフ20人が検査で陽性と判定されたが(死者は出ず)、ラウスがその中に含まれているかどうかは定かではない[9] 。
オバマ上院議員のスタッフとして
2004年11月の連邦議会選挙においてダシュルが落選した後、ラウスは当初引退を計画していた[1] 。しかし同月、リチャード・ゲッパート 下院議員のスタッフなどを務めていたカサンドラ・ブッツ (英語版 ) (のちにオバマ政権下で、大統領次席法律顧問やミレニアム・チャレンジ・アカウント (英語版 ) 計画最高責任者付上級顧問を歴任)から、当時イリノイ州から上院選に出馬・当選を果たしたばかりであったバラク・オバマを紹介される[10] [11] 。ブッツとオバマはハーバード・ロー・スクール 時代の同窓生・友人であり[10] 、彼女の仲介でオバマと面会したラウスは、オバマ本人から直接説得されたこともあり彼の下で働くことを決断、首席補佐官に就任した[1] [10] [11] 。
首席補佐官に就任した当初、ラウスの主な仕事はその連邦議会での豊富な経験・知識を活かし、新人上院議員であったオバマに上院における政治の「いろは」を教えサポートすることだった。オバマの上院議員1年目には、同僚のデイヴィッド・アクセルロッド やロバート・ギブズ と共に「戦略計画(「ザ・ストラテジック・プラン」,“The Strategic Plan”)」というメモ を作成し、上院議員としてどう活動していくべきかをまとめた指針とした[10] 。このメモは、後にオバマと2008年の大統領選挙 で民主党指名候補の座をめぐって争うことになるヒラリー・ローダム・クリントン が上院議員に就任する際に取り入れた指針を参考にしたものである[10] [12] 。
この指針をもとにオバマは議員活動を進めていき、ラウスもそれをサポートしていくこととなる。上院議員在任中のオバマの立法活動や投票行動については、前述の指針も含め、ラウスの助言・アドバイスに依るところが大きいとされる。
例えばオバマは、国民が政府の歳出状況について簡単に調べることができるグーグル 型の検索エンジン ・データベース を構築する法案を、共和党保守派のトム・コバーン (英語版 ) 上院議員(オクラホマ州 選出[13] )と共同で提出・成立させたり、当時の上院外交委員会 委員長で、共和党穏健派の重鎮でもあるリチャード・ルーガー (英語版 ) 上院議員(インディアナ州 選出)とは、ソビエト連邦の崩壊 などの際に所在不明となった旧ソ連 の対空ミサイル などの兵器を発見・処分する活動への資金援助増額案など兵器不拡散問題において連携しているが、これらの行動はラウスの共和党議員との連携を強化するべきとの助言に基づくものとされる[10] 。
また、身内である民主党議員とは極力対立を避け連携を深める方向性をとっており、その例として、2007年 1月に成立した上院政治倫理改革法案の成立過程での動きが挙げられる[14] 。倫理規制の強化は、民主・共和の党の別を問わず多くの上院議員たちにとっては非常にシビアな問題であったため、相当の抵抗・反発が予想された。このため、リード 院内総務を筆頭とする上院民主党指導部は、マコーネル 院内総務ら共和党指導部と協議を重ねた上で、超党派的な賛成を得やすいやや緩やかな内容の法案をリード院内総務自らが提出・成立を図ることを目指していた[15] 。しかし、政治倫理改革を強力に進めたいと考えていたオバマは、当初ロバート・ギブズに強く勧められたこともあり、「法案の内容が弱すぎる。」として反対しようと考えていたが[10] 、一方でラウスは「このような政治的に微妙な問題で、いたずらに他の議員を刺激することは得策ではない。」と考えており[10] 、この立場からオバマにアドバイスを与えた。このラウスのアドバイスもあり、最終的にオバマは上院民主党指導部、特にリード院内総務とあからさまに対立・批判することを避け[16] 、同調するラス・ファインゴールド 上院議員(ウィスコンシン州 選出)とともに多数の修正条項を盛り込むという方策をとった[10] [15] 。
脚注
^ a b c d e f g h ラウスの経歴について紹介するUSニューズ&ワールド・レポートの記事 (英語)2010年10月25日編集・2010年12月25日閲覧
^ ミカミ一家について紹介する記事 (英語)2010年12月25日閲覧
^ “Rouse hailed as first Asian American chief of staff” . The Washington Post. (2010年10月1日). http://www.whorunsgov.com/politerati/uncategorized/rouse-hailed-as-first-asian-american-chief-of-staff/ 2010-01-2010閲覧。
^ http://www.washingtonmonthly.com/archives/individual/2004_12/005275.php
^ a b c d アメリカの新聞「インディアン・カントリー・トゥデイ」(Indian Country Today )紙のラウスへのインタビュー記事 (英語)2010年12月16日編集・2010年12月25日閲覧
^ アブレズク上院議員は、連邦議会史上初のアラブ系アメリカ人 の上院議員である。
^ Preston, Roll Call July 28, 2004 as reported in The Frontrunner
July 28, 2004 "SD: Top Aide Oversees All Aspects Of Daschle Operation"
^ Boyer, Dave Daschle office receives anthrax: Aide opens letter; powder positive The Washington Times , October 16, 2001
^ Deutsche Presse-Agentur . "Over 20 Senate leader staffers test positive for anthrax." October 17, 2001
^ a b c d e f g h i Bacon, Perry Jr. The Outsider's Insider(ラウスなどオバマ選対(当時)の主要メンバーについて紹介する「ワシントン・ポスト」紙の記事) Washington Post , August 27, 2007
^ a b Interview: Pete Rouse PBS Frontline , October 14, 2008
^ クリントンが取り入れた指針の概要は、「たとえ自分が大物(元ファーストレディ )であっても、(自分は上院議員としては新人なのだから)同僚の上院議員は敬意を持って接すること。」「有権者に対して常に自分の存在を意識させ、忘れさせてはならない。」「同僚たち、特に対立政党(彼女の場合は共和党)のメンバーとの関係を構築すること。」の3点である。(脚注10の資料より参照)
^ コバーン議員は共和党内でも最も保守色の強い議員とされ、オバマのようなリベラル派とは全く正反対・対極をなす立場である。
^ この法案では、下院で既に成立していた下院政治倫理改革法案をベースに、上院議員がロビイスト から贈り物や食事、旅行の提供を受けることが禁止されたほか、移動の際にビジネスジェット を通常よりも安い価格で借りることを禁止する、などの内容が盛り込まれた。
^ a b 上院政治倫理改革法案の成立を報じるニューヨーク・タイムズ紙の記事 (英語)2007年1月19日編集・2010年12月26日閲覧
^ 特に2007年1月という時期は、非常に微妙な時期であった。というのもこの時期は、2006年の中間選挙で民主党は共和党から上院での過半数を奪還し、リード院内総務をリーダーとする新しい指導部体制が出来上がったばかりであった。従ってこの時期に、特にリード院内総務自らが提出した法案に対して身内であるオバマが反対票を投じることは、院内総務に就任したばかりのリードの権威を失墜させ、上院で過半数を奪還して勢いづく上院民主党(特に指導部)の勢いを弱めることに繋がりかねないリスクをはらんでいた。
外部リンク
Collected news and commentary at The New York Times
Boyer, Dave Daschle office receives anthrax: Aide opens letter; powder positive The Washington Times , October 16, 2001
Lannan, Maura Kelly "Obama gets committee assignments, hires Daschle aide." Associated Press, December 6, 2004
Sullivan, Amy Off to a Good Start.... Washington Monthly , December 7, 2004
Basnight, Elisa Pete Rouse: A Career on the Hill ケネディスクール , June 26, 2007
Bacon, Perry Jr The Outsider's Insider The Washington Post , August 27, 2007
Interview: Pete Rouse PBS Frontline , October 14, 2008