サンティノ・フェルッチ(Santino Ferrucci, 1998年5月31日 - )は、アメリカ合衆国のレーシングドライバー。コネチカット州ウッドベリー(Woodbury)出身。
マスメディアによっては、「サンティーノ・フェルッチ」と表記されることもある。
経歴
2012年-2013年
14歳の時、「SBF2000 ウィンター・シリーズ」に出場。10レースの内、3度の優勝・6回の表彰台を獲得し本格的なプロデビューを果たす。
2013年
15歳となったフェルッチは、シーズンの半ばより「F2000 チャンピオンシップ・シリーズ」(F2000 Championship Series)へ参戦。最終戦までの全てのレースで上位フィニッシュする走りを見せ、総合5位で終える。
2014年
16歳になる2014年シーズンは、「ドイツ・ヨーロッパ・イギリス」の各F3選手権への出場を果たす。ドイツ・F3選手権(German Formula Three Championship)とヨーロッパ・F3選手権はユーロインターナショナル(英語版)から、イギリス・F3選手権はフォーテック・モータースポーツ(英語版)から出走した。イギリス・F3選手権では3レースに出場し、優勝2回・ポールポジション1回・ファステストラップ2回・表彰台3回の好成績を残した。
F3選手権以外では、フォーテック・モータースポーツからマカオグランプリへ出場した。初出場ながらも8位でフィニッシュする走りを見せる[1]。
2015年
シーズンの始めにフェルッチは、ジャイルズ・モータースポーツからトヨタ・レーシング・シリーズ(英語版)へ参戦する。全体を通してコンスタントに上位に食い込み765ポイントを獲得する。最終戦の第2レースでは優勝も果たした。その甲斐もあり総合順位でも3位に入る。
この年は、ミュッケ・モータースポーツ(英語版)と新たに契約して2年目のヨーロッパ・F3選手権とマカオグランプリへ参戦した。ヨーロッパ・F3選手権では第5戦の第2レースで2位に入り、初の表彰台を獲得する。総合順位でも昨年を上回る11位となる。
11月に開催された自身2度目のマカオグランプリでは、予選レースを7位で終え決勝での7番グリッドを獲得する。迎えた決勝レースは、グリッド順位を1つ上げて6位のチェッカーを受けた[2]。昨年に続く2年連続でトップ10フィニッシュを果たした。
2016年
フェルッチは、DAMSからGP3シリーズへ参戦することを発表する。デビューレースとなる開幕戦スペインラウンドは、第1・第2レースともに下位に沈み厳しいスタートを切った[3][4]。
第3戦イギリスラウンドの第1レースでは18位だったが[5]、スプリントレースである第2レースは4位に入り自身初のGP3入賞を果たす[6]。
F1
2016年3月、ハースF1チームはフェルッチを開発ドライバーとして契約したことを発表した[7]。同チームは、フェルッチと同じくGP3へ参戦しているフェラーリ・ドライバー・アカデミー(Ferrari Driver Academy)所属のシャルル・ルクレールも開発ドライバーのメンバーに加えている[8]。
第10戦イギリスGP終了後に行われたインシーズンテストで、チームのマシンであるVF-16に乗り初めてのテストセッション参加が決まった[9]。初日は55周を走りこみ1分34秒866を記録、全体の7番手タイムをマークする[10]。2日目は昨日より多い59周を走行、1分33秒934を記録して全体の6番手タイムをマークした[11]。
2017年もハースの開発ドライバーを継続する[12]。
また、GP3にDAMSより参戦。シーズン途中にフォーミュラ2にステップアップし、トライデントより参戦した[13]。
2018年
引き続きフォーミュラ2にトライデントから、同じくハースの開発ドライバーであるアルジュン・マイニとともに参戦。
6月にはインディカーに骨折のため欠場したデイル・コイン・レーシングのピエトロ・フィッティパルディに代わりスポット参戦。
7月8日にシルバーストンで行われたフォーミュラ2でのレースにおける3件の問題行為に対し、スチュワードから呼び出しを受けた。しかし、フェルッチはこれを無視。それぞれ以下のペナルティが課せられた。
- レース2のチェッカー後にチームメイトのマイニに故意に追突した行為に対し、ハンガリーとベルギーにおける2大会4レースの出場停止と6万ユーロの罰金。
- レース2のレース中にマイニを故意にコース外へ押し出した行為に対し、レース2失格。
- パドック内でマシンの運転中にグローブを外し、スマートフォンを操作した行為に対し、6000ユーロの罰金[14][15]。
また、所属するトライデントはフェルッチとその父が、マイニとその家族のインド訛りの英語を真似するなど、日常的に侮辱行為を行なっていたことを明かし、弁護士を介し解決を図ることとした[16]。
Sky Sports F1のTwitterアカウントはフェルッチがマイニに追突した際の動画を、マイニの「僕のチームメイトは頭がおかしい。彼を失格にすべきだ。」というコメントともにツイート[17]。このツイートに対しフェルッチは、「(マイニは)チームラジオで泣き言を言っていたね。僕は薬物検査を受けたけど問題無かったよ。君のレース中の行いを見れば、多くの人は僕を理解してくれるんじゃないかな?」と返信。また、自身への批判に対し、「今日はkeyboard jockeys(英語でネット弁慶たちの意)がたくさんいるね。」と返信[18]。しばらくしてこの返信は削除され、7月10日には自身のTwitterアカウントに謝罪文を掲載した[19]が、後に削除している。
7月18日にトライデントはシルバーストンにおける出来事と、インディカーに参戦する費用を有していたにもかかわらず、チームに対する契約金の支払いを行なっていなかったことを理由に、フェルッチの解雇を発表した[20][21]。
一方、ハースはフェルッチのジュニア・プログラムへの残留を決めた[22]が、フェルッチが参加する予定だったハンガリーGP後のインシーズンテストは、過密なスケジュールを理由にチーム全体で参加を見送った[23]。
その後、再びインディカーにデイル・コインから参戦した[24]。
インディカー
2019年・2020年も引き続きデイル・コイン・レーシングから参戦、ランキング13位。
2021年はレイホール・レターマン・ラニガン・レーシング(RLL)よりインディカーシリーズ数戦にスポット参戦。
2022年はレギュラーシートを得られなかったが、第2戦テキサスにRLLのジャック・ハーベイが負傷した代役として参戦し9位でゴール。同年のインディ500にはドレイヤー&レインボールド・レーシングより参戦。
2023年、A.J.フォイトレーシングと契約し、3年ぶりとなるインディカーシリーズフル参戦のシートを得た[25]。第107回インディ500(英語版)では予選から好調で、4番手の平均スピードを記録し2列目スタートを獲得。決勝レースでも終盤までトップ争いに絡み、優勝したジョセフ・ニューガーデンから0.5273秒遅れの3位に入賞した[26]。
レース戦績
略歴
- † : ゲストドライバーとしての出走であるため、ポイントは加算されない。
FIA フォーミュラ3・ヨーロピアン選手権
GP3シリーズ
FIA フォーミュラ2選手権
アメリカン・オープン=ホイール・レーシング
インディカー・シリーズ
インディ500
出典