ボディビルダーとして活動後、2002年にプロレスラーデビューを果たす。UPW(Ultimate Pro Wrestling)にてトレーニングを積み、WWEの下部組織であるOVWに移籍。2005年にWWEに昇格し、RAWに登場。初登場に際し、The Masterpiece(最高傑作)の愛称がつけられた。デビュー戦において、対戦相手のスティーブン・リチャーズの鼻を破壊し、快勝した。デビュー後、マスターズのフィニッシャーであるマスター・ロックを外せたら賞金が貰える「マスター・ロック・チャレンジ」という企画を主催し、数々の強豪たちを退けてきたが、2007年3月にボビー・ラシュリーに破られ、マスター・ロックの不敗神話は終了した。
WWE解雇後、フィットネス・トレーナーを兼業しながら世界各国のプロレス団体で活動。12月20日には日本の団体であるIGFにてクリス・ムーア(Chris Moore)のリングネームで参戦し、柳澤龍志を相手にマスターロックを決めて快勝。同月29日にはハーリー・レイスが主催するWLW(World League Wrestling)に参戦したことをきっかけに2008年までWLWヘビー級王座を争う主力の一人として活躍。2009年にはオーストラリアのAWF(Australasian Wrestling Federation)やニュージーランドのNZWPW(New Zealand Wide Pro Wrestling)といったオセアニアのプロレス団体に参戦した。
2014年8月1日、イングランドのインディー団体であるPCW(Preston City Wrestling)のI Want To Break ThreeにてPCW王座を保持するジョーイ・ヘイエスと対戦し、最後にマスターロックを決めるとギブアップさせてベルトを奪取した[3]。
2015年3月14日、PCW Road To Glory 2015にてPCW王座を保持するウーハー・ネイションとPCW王座を懸けたルーザーリーブズPCWノーDQマッチを行い勝利し、ベルトを奪取した[4]。
GFW / TNA
2015年6月20日、ジェフ・ジャレットが主宰するGFWのGrand Slam Tourに参戦。ダスティン・スターと対戦して最後にはマスターロックを決めて勝利した[5]。7月24日、Ampedにて初代GFWグローバル王座争奪トーナメントに出場し、1回戦でブライアン・マイヤーズと対戦して勝利した[6]。8月12日、TNA・iMPACT WrestlingにてTNA vs GFWの団体抗争戦でジャレット率いるGFWの一員として登場。ジャレットが復活させたTNAキング・オブ・ザ・マウンテン王座を巡ってキング・オブ・ザ・マウンテンマッチを行うが王座を奪取するに至らなかった[7]。9月2日、ボビー・ラシュリーとの試合にて試合終盤までクリーンファイトを行うがラシュリーからドミネーターを喰らい、フィニッシャーであるスピアーを決められようとしたところをジャレット率いるGFWのメンバーが乱入してラシュリーを襲撃し、没収試合となった[8]。同月9日、ドリュー・ギャロウェイとのランバージャックマッチにて終盤にギャロウェイからフューチャー・ショックを喰らい起き上がれなくなったところを味方のアシストを受けてギャロウェイが場外で襲撃を受け両軍大乱闘となり、バックステージからギターを持って介入してきたジャレットがギャロウェイを攻撃しようとしたところへエリック・ヤングがギターを奪い引き止めるが結局ギャロウェイにギターを叩きつけ、フォールして勝利した[9]。