エルマンガルド・ダンジュー(Ermengarde d'Anjou)またはエルマンガルド=ブランシュ・ダンジュー(Ermengarde Blanche d'Anjou, 1018年 - 1076年3月18日)は、アンジェルジェ家のアンジュー伯フルク3世と2人目の妻イルドガルド・ド・オート=ロレーヌ・ド・スンゴー(上ロレーヌ公ティエリー1世娘とされる)の娘。最期はフルーレ=シュル=ウシュの教会で2人目の夫ブルゴーニュ公ロベール1世とともに暗殺されたとされる。
生涯
彼女は最初、ガティネ伯ジョフロワ2世と結婚し、3子を儲けた。
1046年に実母イルドガルドがエルサレムへの巡礼の旅の途中で死去した時、エルマンガルドは既に未亡人となっており、後にブルゴーニュ公ロベール1世と再婚し1女をもうけている。
実兄アンジュー伯ジョフロワ2世が1060年に亡くなったが、嗣子がいなかったため、アンジュー伯領はエルマンガルドと前夫ガティネ伯ジョフロワ2世の息子ジョフロワ3世とフルク4世が分割相続した。
出典