『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』 ローリング・ストーンズ の スタジオ・アルバム リリース
1974年10月18日 (1974-10-18 ) 録音
1972年12月6日 – 13日 (1972-12-06 – 1972-12-13 ) 1973年11月13日 – 24日 (1973-11-13 – 1973-11-24 ) 1974年2月20日 – 3月3日 (1974-02-20 – 1974-03-03 ) 1974年4月12日 – 5月27日 (1974-04-12 – 1974-05-27 ) ジャンル
時間
48分26秒 レーベル
プロデュース
グリマー・ツインズ 専門評論家によるレビュー
ローリング・ストーンズ アルバム 年表
イッツ・オンリー・ロックン・ロール (1974年 (1974 ) )
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『イッツ・オンリー・ロックン・ロール 』(It's Only Rock'n Roll )は、1974年 にリリースされたローリング・ストーンズ のオリジナル・アルバム 。プロデュースはグリマー・ツインズ 。レコーディング・エンジニアはアンディ・ジョンズ およびキース・ハーウッド。全英2位、全米1位を記録。
解説
1968年 の『ベガーズ・バンケット 』より続いてきたスワンプ・ロック 路線から脱却し、本作ではソリッドかつストレートなロックサウンドに転換が図られた[ 1] 。『スティッキー・フィンガーズ 』(1971年 )以降、ストーンズのサウンド面では欠かせなかったホーン・セクションも本作では一掃されている。本作はグリマー・ツインズ(ミック・ジャガー とキース・リチャーズ のプロデューサーとしての匿名クレジット)がプロデュースを行った初の作品である。『ベガーズ…』以降ストーンズの全作品のプロデュースを引き受けてきたジミー・ミラー は本作のセッションの途中で降板した。そして、1969年 からストーンズのリードギタリストとして共に活動をしてきたミック・テイラー が、本作リリース直後の1974年12月にグループを脱退したため、テイラーが参加した最後のアルバムにもなった。テイラーの脱退理由には様々な憶測が流されたが、本人は「キースのドラッグ が原因でメンバーがバラバラな状態だった」と語っている。あらゆる意味で本作はグループにとっての転換点になった[ 2] 。
本作のレコーディングは、1973年 のヨーロピアン・ツアー終了直後の11月からドイツ 、ミュンヘン のミュージックランド・スタジオにて開始された。「ショート・アンド・カーリーズ」のみ、前作『山羊の頭のスープ 』のセッションからのものである[ 3] 。アルバムタイトル曲の「イッツ・オンリー・ロックン・ロール 」は、当時フェイセズ のギタリストであり、テイラーの後任として後にストーンズに加入するロン・ウッド の自宅の地下室で、ベーシック・トラックが作られている。ウッドは当時、自身初のソロ・アルバム『俺と仲間 』の制作中であり、リチャーズとテイラーもその作品に参加している。このことでストーンズとの関係を深めたウッドが、後に新メンバーとして加入するのは自然な流れだった[ 2] 。
本作のパッケージはシングル・スリーブで、特にオマケもなくシンプルなものとなった。ジャケットの絵を手がけたガイ・ピーラートは、かつて「Rock Dreams 」という画集でストーンズを描いたことからジャガーに気にいられ、本作のレコーディングにも立ち入りを許されていたという。ジャケットの絵はそのレコーディング中にイメージしたものだという[ 3] 。内袋に前作同様、各曲のクレジットとゲストミュージシャンの写真が印刷されている。また、「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」、「エイント・トゥー・プラウド・トゥ・ベッグ 」、「ティル・ザ・ネクスト・グッドバイ」でプロモーションビデオ が制作された。現在ではいずれもYouTube のストーンズ公式ページで試聴可能である。
この1974年には、ビル・ワイマンがストーンズのメンバーで初となるソロ・アルバム『モンキー・グリップ』をリリースし、全英39位にランクインさせている[ 4] 。
1994年 にヴァージン・レコード からリマスター 版が、2009年 にはポリドール から再リマスター版がリリースされた。2011年 には日本 限定で、ユニバーサルミュージックグループ から最新リマスター版がSACD で発売された。
評価
イギリス では2位に留まり、1969年の『レット・イット・ブリード 』以来続いていた連続1位の記録が途絶えた[ 5] 。アメリカ では1週のみだが1位となり[ 3] 、2000年 にプラチナ・ディスク を獲得するものの、売上は前作を超えることは出来なかった[ 6] 。本作からはアルバムタイトル曲「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」が先行シングルとして、また 「エイント・トゥー・プラウド・トゥ・ベッグ」(テンプテーションズ のカバー)がリカットシングル として発表されたが、「イッツ・オンリー…」はアメリカでトップ10を逃しており[ 7] 、ストーンズは商業的スランプに陥っていた。
グレイト・ギタリスト・ハント〜北米ツアー
テイラーの突然の脱退を受け、グループは1974年 12月より、新ギタリストのオーディションを兼ねた新作のレコーディングを開始する。このオーディションは「グレイト・ギタリスト・ハント 」と呼ばれ、誰が新メンバーになるか注目を集めた。候補と噂されたギタリストには、ジェフ・ベック やミック・ロンソン など10名以上にもおよび、はてはウィルコ・ジョンソン やジミー・ペイジ 、ロバート・ジョンソン といったありえない名前までが挙げられたが[ 8] 、4月14日までに旧知であったロン・ウッドが加入することで決定した[ 9] 。
1975年 5月より、「NORTH AMERICAN TOUR 1975 」が開始された(ツアー開始に合わせる形で、ベスト・アルバム 『メイド・イン・ザ・シェイド 』もリリースされている)。ツアー告知は5月1日、ニューヨーク の5thアベニューにおいてトラックの荷台で「ブラウン・シュガー 」を演奏する形で行われた[ 10] 。ツアーは6月1日のルイジアナ州 バトンルージュのルイジアナ州立大学公演から始まり、8月8日のニューヨーク州バッファローのリッチ・スタディアム公演で終了した。このツアーではオープニングに「庶民のファンファーレ」が流され、巨大なペニス をかたどった風船 が扇風機 でステージ上に膨らまされた。この演出は警察 から「あれをまた使ったら今度は刑務所 行きだ」と警告されたため一度しか行われなかった[ 11] 。ウッドもこのツアーに同行したが当時はまだフェイセズ が活動中であり、サポートメンバーという形で参加していた[ 12] 。同ツアーでは本作から「イフ・ユー・キャント・ロック・ミー」「エイント・トゥー・プラウド・トゥー・ベッグ」「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」「フィンガープリント・ファイル」などが演奏された。またサポートを務めたビリー・プレストン の曲も披露されている。
収録曲
特筆無い限り、作詞・作曲:ジャガー/リチャーズ
※#3のみ、"Inspiration by Ronnie Wood"と注釈がつけられている。
SIDE A
イフ・ユー・キャント・ロック・ミー - If You Can't Rock Me 3:47
エイント・トゥー・プラウド・トゥ・ベッグ - Ain't Too Proud to Beg (Norman Whitfield/ Eddie Holland) 3:31
イッツ・オンリー・ロックン・ロール - It's Only Rock'n Roll (But I Like It) 5:07
ティル・ザ・ネクスト・グッドバイ - Till The Next Goodbye 4:37
タイム・ウェイツ・フォー・ノー・ワン - Time Waits for No One 6:38
テイラーによる長いギターソロをフィーチャーした曲。テイラーも作曲に大きく関与したとされるが作者としてクレジットされておらず、彼はこのことに不満を漏らしている[ 13] 。だがテイラーは「ほとんど自分が書いた」と言うこともあれば一方で「ジャガーが書いた」と答えることもあり、明言はしていない[ 14] 。
SIDE B
快楽の奴隷 - Luxury 5:01
1994年版からオリジナル版より尺の長いバージョンに差し替えられた。
ダンス・リトル・シスター - Dance Little Sister 4:11
マイ・フレンド - If You Really Want to Be My Friend 6:17
ショート・アンド・カーリーズ - Short and Curlies 2:44
フィンガープリント・ファイル - Fingerprint File 6:33
参加ミュージシャン
ローリング・ストーンズ[ 15] [ 16]
ゲストミュージシャン[ 15] [ 16]
脚注
注釈
出典
外部リンク
旧メンバー 代表曲 アルバム
UK スタジオ・アルバム (1964–1967) US スタジオ・アルバム (1964–1967) スタジオ・アルバム (1967–現在) UK コンパクト盤 ライブ・アルバム コンピレーション アブコ 編集盤デッカ 編集盤その他のアルバム
映像作品 ライブ・ツアー マネージャー プロデューサー 外部ミュージシャン 関連人物 関連項目
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