株式会社みなと銀行(みなとぎんこう、英: The Minato Bank, Ltd.)は、兵庫県神戸市中央区に本店を置く、りそなホールディングス傘下の第二地方銀行である。
概要
1948年、神戸市内の有力頼母子講八講が大同団結して無尽会社として発足することで合意。1949年9月、神戸市長、衆議院議員を歴任した中井一夫を初代社長として、七福相互無尽株式会社を設立。同年10月1日、兵庫県全域を営業地域として業務を開始した。しかし、早急な営業基盤の構築を志向したことから経営難に陥った。このため神戸銀行に全面支援を要請する事態となり、同行からの支えを得た上で、1951年10月、相互銀行に転換。七福相互銀行としての歩みを開始した[2]。
1966年10月、商号を阪神相互銀行に変更。さらに1989年2月、相銀の普通銀行への一斉転換によって阪神銀行となる。
バブル経済の崩壊や阪神・淡路大震災からの影響で一時、経営不振に陥ったがリストラやさくら銀行(現:三井住友銀行)からの全面支援によって経営は復調[3]。1999年4月1日、阪神銀がみどり銀行(銀行コードは0561)を吸収合併。みなと銀行として再出発した[4]。
みどり銀は、1995年8月、経営破綻した兵庫銀行から業務を譲り受けて引き継ぐ「受皿銀行」として、地元経済界を中心に設立されたが、当時は破綻した銀行の受皿銀行における負担軽減を図るスキームが整備されておらず、兵庫銀の不良債権を引き継がざるを得なかったため、譲受当初から経営は厳しく、1998年3月期決算では2000億円を超える債務超過となり、事実上の経営破綻状態に陥った[5]。このため、健全経営であった阪神銀がみどり銀を救済合併した[6]。この合併の際には破綻処理におけるスキームが整備され、みどり銀の不良債権はみなと銀には引き継がれず、整理回収機構に譲渡された[6]。阪神銀・みどり銀とも、主に兵庫県南部を営業基盤とする第二地銀であったことから、合併によって「県民銀行」をキャッチフレーズとして[3]、旧行とは違った新たな雰囲気を創り上げていった。
2000年当時筆頭株主であったさくら銀は、1997年6月に頭取に就任した岡田明重の下で策定した第4次中期経営計画に基づき[7]、1998年度から2000年度にかけ抜本的なチャネル改革と大胆な店舗統廃合を実施する方針を定めたが[8]、その中では歴史的に繋がりの強い兵庫県内における店舗政策の見直しも俎上にのぼった。そこで検討が重ねられ、顧客に対する利便性を確保した上でリテール事業における兵庫県内マーケットを毀損せず継続させるには、みなと銀を連結子会社化することが最良との判断に至った。またそれによって、阪神・淡路大震災からの早期復興と地域経済の発展のため強固で安定した地域金融機関を必要としていた地元のニーズにも応えることが出来るとし、みなと銀からの合意を経て、株式公開買い付け(TOB)によって同行株式の41.13%を取得。同年7月傘下子会社とした[5]。これに続いて、兵庫県内のさくら銀20店舗(旧神戸銀行店舗)が、2期(2000年11月、2001年1月)に分けてみなと銀に譲渡された[5]。また同時にさくら銀が旧神戸銀時代から受託してきた播磨地方における、一部の自治体の指定金融機関もみなと銀へ移行した[注釈 1]。さらに、同年12月には、プリンストン債投資で失敗し破綻した「北兵庫信用組合」から9店舗を譲り受け、兵庫県北部に本格的に進出。また、2001年10月には、理髪店経営者らが組合員の多くを占める「神戸商業信用組合」を合併し、同時に、同信組の5店舗を近隣のみなと銀行店舗に統合した[9][注釈 2]。当時のさくら銀では、旧太陽神戸銀行派閥と旧三井銀行派閥による対立が根深く、特に旧神戸銀行出身行員には財閥系である三井の社風に馴染めないことを理由に、みなと銀への移行・譲渡と共にさくら銀からみなと銀へ移る者もいた。
県外支店は大阪(心斎橋)・梅田・千里山・東京(日本橋室町)のみとなっている。
2007年4月16日にはネット支店である「海岸通支店」を開業した。また、移動店舗であるみなとキャビン出張所も導入している[10][11]。
2013年から2014年にかけて、当行の親会社である三井住友銀行が、島根県に本店を置き山陰地方を地盤としつつ兵庫県及び大阪府への進出を模索する山陰合同銀行に対して、みなと銀行との経営統合を持ちかけるも、内部での議論の結果、経営統合は見送られた[12]。
2017年(平成29年)2月20日、中間持株会社にぶら下がる形で、みなと銀行・近畿大阪銀行・関西アーバン銀行の3行での統合を検討していることが明らかになった[注釈 3][15][14][13]。2017年2月25日には、日本経済新聞において、「三井住友フィナンシャルグループとりそなホールディングスは系列の関西の地銀3行を来春に経営統合することで大筋合意した。」とする記事が掲載された[16]。
2017年3月3日、りそなホールディングス、三井住友フィナンシャルグループ、近畿大阪銀行、関西アーバン銀行及びみなと銀行は、近畿大阪銀行、関西アーバン銀行及びみなと銀行の経営統合に関し基本合意に至ったことを発表した[17]。関西アーバン銀行及びみなと銀行の三井住友フィナンシャルグループ傘下の2行と、りそなホールディングスの完全子会社である近畿大阪銀行がぶら下がる形で新たな金融持株会社をつくる[16][17]。金融持株会社は、りそなホールディングスの連結子会社となり、三井住友フィナンシャルグループの持分法適用会社となる[16][17]。
2017年9月26日、この統合計画について三井住友フィナンシャルグループ、りそなホールディングス、近畿大阪銀行、関西アーバン銀行及びみなと銀行の間で最終合意に至ったこと並びに持株会社の社名を関西みらいフィナンシャルグループとすること、今後段階を踏んで経営統合・システム統合を行うことが公表された[18][19][20][16][21][22][23]。この経営統合の過程で、近畿大阪銀行と関西アーバン銀行が合併の上、関西みらい銀行を創設することとなっているが、みなと銀行については、兵庫県民のための県民銀行として、りそなグループのノウハウを活用しながらも引き続き営業活動を推進していくとしている[19][23]。
2018年2月20日、りそなホールディングスが株式公開買付けの結果、議決権所有割合ベースで株式の15.08%を取得、三井住友フィナンシャルグループ及び三井住友銀行は親会社でなくなり、その他の関係会社となった[注釈 4][25]。
2018年4月1日、関西みらいフィナンシャルグループと株式交換を行い、同社の完全子会社となるとともに、みなと銀行に代わり関西みらいフィナンシャルグループが東京証券取引所に上場した[注釈 5]。
2020年1月1日、大阪市中央区に本店を置いていた大正銀行が徳島市に本店を置く徳島銀行との合併により、徳島大正銀行となった。徳島大正銀行は本店を徳島市に置くため、関西地方に本店を置く第二地方銀行はみなと銀行1行のみとなった。
2020年5月12日、新たな中期経営計画の中でシステム統合を2025年頃に延期することを発表した[27]。
2021年6月現在、他のりそなグループ銀行3社(りそな銀行・埼玉りそな銀行・関西みらい銀行)との銀行代理契約は締結されていない。
りそなグループ入りしてからは、グループ内他行との共同店舗の設置を進めている。2020年11月にりそな銀行加古川支店をみなと銀行加古川支店に統合したのを皮切りに[28][29]、2023年11月には関西みらい銀行芦屋支店をみなと銀行芦屋支店内に移転して店舗共同化した(関西みらい銀行窓口は1階。みなと銀行窓口は2階)[30]。
同じく兵庫県内を拠点とする但馬銀行とは強い競合関係にあるが、両行で県内特有の状況解決に向けた協力の取り組みも始めている[31]。但馬銀行が本拠とする県北部にみなと銀行は最盛時で9支店を構えていたが、2024年までに1支店に集約する[32]。
沿革
関係会社
脚注
注釈
- ^ 小野市、加西市、相生市、赤穂市など。加西市はのちに三井住友銀行(さくら銀行の後身)へと指定金融機関を変更した。
- ^ これにあわせて、同信組本店の統合先となった同行布引支店は、店舗移転は伴わず店名のみを「北野坂支店」に改称した。
- ^ これについて、ロイター通信は、大手銀行傘下の地方銀行が系列の垣根を超えて統合することは珍しいとコメントしている[13]。また日本経済新聞の報道によると、今般の統合は、2016年からの日銀のマイナス金利政策で金利の引下げ競争がより激しくなり、地銀の収益環境が悪化しているものの、顧客に選ばれる商品やサービスを提供し続けるためには収益力や預金量などの課題克服が必要であることから、規模を拡大して関西市場を共同で開拓していく必要が生じたためになされるものであるという[14]。
- ^ これに先立ち、2017年11月14日には関西みらいフィナンシャルグループが設立されている[24]。
- ^ その後、2021年4月1日にはりそなグループホールディングスによる関西みらいフィナンシャルグループの完全子会社化が完了し、上場廃止となっている[26]
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出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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