L'Arc〜en〜CielやSONS OF ALL PUSSYS(通称:S.O.A.P.)といったバンドで活動を行ってきたKenにとって、これが初の単独名義でリリースとなった。ちなみに当初、KenはSONS OF ALL PUSSYSを2006年から再始動することを検討していたが、結果的にソロ名義でリリースすることにしている。
SONS OF ALL PUSSYSの活動を再始動しなかった理由について、Kenは「(2005年の)年末のS.O.A.P.のリハのとき、なんかもっと歌詞を伝えるようになりたいなぁ、なんてことを思いつつ。で、それはとにかく"Yeah!"って言ってるっていうものとはちょっと違うじゃないですか、歌詞を伝えることと。そんな気分になってるんだよねって話は、メンバーに伝えて。その後、しばらくそのままの状態だったのかな。で、年が明けてからも、S.O.A.P.っぽい曲がなかなかできないねぇ…みたいな感じで。そうこうしてる間も、メンバーそれぞれがチョコチョコ忙しくしてたっていうのもあって、なんとなくS.O.A.P.は離陸せずに今に至る、という感じかな[1]」と本作発売当時に述べている。また、Kenはソロ名義での活動に考えが向かっていった経緯について、「2月ごろになってから"なんか、ライヴやりたいなぁ"と思うようになってね。けど、それはバンドじゃなくて、ピアノとギターだけとか[1]」「L'Arc〜en〜Cielのライヴで秦野(猛行)さんがずっとキーボードを弾いてくれてるでしょ。で、ライヴツアー「AWAKE TOUR 2005」のときの秦野さんのインプロビゼーションとかも、本当に素晴らしいなと思いながらライヴをやってたから、一緒になんかできたらいいなと思った[1]」と語っている。
表題曲「Speed」は、アダルトな雰囲気の中に哀愁や切なさが内包されたギターロックナンバーに仕上げられている[2]。ちなみにこの曲は、L'Arc〜en〜Cielが2005年に開催したライヴツアー「ASIALIVE 2005」の後のオフ期間に、デモが制作されていた楽曲となっている。Kenはこの曲の制作経緯について「ツアーが終わって、確か、"毎月1曲作曲するぞ月間"を作ったんだけど、2ヵ月で挫折したシリーズの1曲[3]」と述懐している。この経緯から分かるように、この曲はソロ名義で発表するつもりで作られたわけではない。Kenは、この曲をソロシングルとして発表することにした経緯について「(ツアーの後に)休憩してる中で、ゆっくり音楽をやりたいなと。で、そのときにあった曲が「Speed」で、その時の自分のモードと合ってたんだよね[3]」「L'Arc〜en〜CielとかSONS OF ALL PUSSYSとかソロとか考えずに作曲してるとこからいつの間にか…なんですよね。で、そうやって作曲したものを聞いてるうち、この曲はこういうドラマーの方にたたいてほしいな、とかっていうことを考えたりしていて。だから、曲が先にあって、それを作品として出そうっていうことの延長線上にソロがあった、っていう感じなんですよね[4]」と述べている。余談だが、Kenの言う"毎月1曲作曲するぞ月間"にデモが制作されたもう1曲は、L'Arc〜en〜Cielとして2007年に発表したアルバム『KISS』に収録された「ALONE EN LA VIDA」だという[3]。
また、表題曲のレコーディングには秦野猛行の他に、ベーシストのTAKASHI(ex.DIE IN CRIES、BUG)と、ドラマーの村石雅行(FAZJAZ.jp、ex.KENSO)が参加している。KenはTAKASHIを招聘した理由について「何年か前のライヴイベント「天嘉」で、Sakuraと俺と、KyoさんとTAKASHIさんで一緒にREACTIONのカバー(「LONESOME KNIGHT」)をやったんだけど、そのとき、やっぱりいいなぁと思ったから[5]」と述べている。また、Kenは村石雅行を招聘した理由について「椎名林檎さんの曲でも叩いてて、そのプレイも好きだし、KENSOで叩いているところを見て、"なんじゃこりゃ!"っていうぐらい迫力があったんだよね。ただ、もちろんそのときはソロなんて考えてもいなかったから、一緒にやりたいもへったくれもなかったんだけど。で、今回、「Speed」を録りたいなと思ったときに、村石さんのことが頭に浮かんでね。けど、面識もないし、断られるかな…って思ったけど、頼んでみたら快く引き受けてもらえてね[5]」と述べている。