フィアット G.91
フィアット(アエリタリア) G.91R/3
フィアットG.91はイタリアのフィアット社(後に航空部門を切り離しアエリタリア社になった)が1960年代に開発した戦闘爆撃機。非公式にジーナ(Gina)の愛称で親しまれた。バリエーションとしては、複座練習機型のG.91T、偵察能力を持つ本格量産型のG.91R、拡大改良型といえるG.91Yがある。
前線の未整備飛行場から運用でき、そこから280kmの地点を攻撃可能というNATOの軽量打撃戦闘機計画NBMR-1(英語版)に応じて開発された。1956年8月に初飛行して良好な性能を示し、特に短距離離着陸性能に優れ芝生の簡易滑走路からでも外部装備搭載状態で運用可能だった。しかしNATO加盟国それぞれの思惑もあって本機を採用したのはイタリア空軍、旧西ドイツ空軍、ポルトガル空軍の3カ国に止まった(このほかに、G.91Rの少数機がポルトガルの植民地であったアンゴラ空軍に引き渡されたとする資料もあるが未詳)。西ドイツではメッサーシュミット、ドルニエ、ハインケルの3社でライセンス生産が行われ、第二次世界大戦後西ドイツで最初に生産されたジェット軍用機となった。
また、1960年代にアメリカ陸軍において近接航空支援・軽攻撃任務用の戦闘攻撃機装備計画が立案され、A-4、N-156F(のちのF-5)等と共に本機がその候補として浮上したものの、計画そのものが白紙化となり米陸軍に装備される事は無かった。このほかに、アメリカ空軍、ギリシャ空軍でも採用候補となり、数機が試験採用されたが本採用とならなかった。
複座型のG.91Tは胴体を若干延長して後席を増設しており、高等練習機としても使用された。後にエンジンをゼネラル・エレクトリック J85双発とし、機体を拡張するなど大幅に改良したG.91Yが登場したが、採用国はイタリアのみに留まった。
採用された国では長期間運用され、最後の機体が退役したのは1995年であった。ポルトガル空軍は、ポルトガルの植民地戦争において、アンゴラ、モザンビーク等での独立解放を目指すゲリラへの対地攻撃や偵察に、本機を投入している。ギニアビサウのMiG-17と交戦したこともあったが、決着はつかなかった。
出典: Geschichte der Luftwaffe (2017年). “Fiat G,91R3, G.91R4 und G.91T3” (ドイツ語). 2019年4月19日閲覧。
諸元
性能
武装
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