アラド Ar 95
アラド Ar 95(Arado Ar 95)は、1930年代遅くにドイツのアラド社で設計、製造された単発、複葉の偵察、哨戒機である。チリとトルコから発注されたが、第二次世界大戦の開始と共に数機がドイツ海軍(Kriegsmarine)に引き渡された。
アラド Ar 95は1935年に沿岸哨戒、偵察、小規模攻撃用の複座水上機として設計された。BMW 132 星型エンジンを搭載した全金属製複葉機の試作初号機は1936年に初飛行を行い[1]、その一方で試作2号機は液冷エンジンのユンカース ユモ 210を搭載していた。この2機の試作機は類似のフォッケウルフ Fw 62との評価試験にかけられた。BMWエンジン搭載の方は更なる研究の価値ありと認められ、更なる評価のためにスペイン内戦に参加したコンドル軍団に6機が配備された[2]。
アラド Ar 95は、ドイツの航空母艦 グラーフ・ツェッペリンから運用されることを意図した雷撃機であるAr 195の試作機の基礎となった[1]。
Ar 95はドイツ軍からの発注が無く、そこで輸出用としてフロート付のAr 95Wとフェアリングで覆われた固定式の降着装置付のAr 95Lの2型式が販売された。6機のAr 95Lがチリ空軍から発注され、第二次世界大戦に先立って納入された[3]。トルコはAr 95Wを発注したが、戦争の勃発によりこれらの機体はドイツに取り上げられた。
徴発されたAr 95はドイツ空軍からAr 95Aの名称を与えられ、練習機[1]やバルト海での沿岸偵察、1941年にはラトビアとエストニアの沿岸での運用、そしてフィンランド湾で使用された[2]。これらの機体は1944年まで運用された[1]。
(Arado 95A-1)
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