2003年の中日ドラゴンズ(2003ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、2003年の中日ドラゴンズにおける動向をまとめる。
この年の中日ドラゴンズは、山田久志監督の2年目のシーズンである。
概要
山田監督の2年目を優勝で飾りたいチームは四番候補の大物助っ人ケビン・ミラーを獲得。しかし、ボストン・レッドソックス側がミラーとの契約譲渡を要求。1度はミラーとの契約権は中日と認められたものの、MLBからの圧力とミラー本人がレッドソックスでのプレーを希望した事から、中日側はやむなくミラーとの契約を解除した。
開幕カードの巨人戦は2勝1敗と勝ち越すものの、開幕投手を務めたエース・川上憲伸、ローテーション投手朝倉健太の故障離脱にエディ・ギャラードの途中退団などで投手陣が崩壊。シーズン中盤以降は首位独走状態の阪神、最下位独走状態の横浜を除いた4球団とのAクラス争いとなる。シーズン終盤の9月7日には山田監督が判定への不服により審判への暴力行為で退場処分。その2日後、山田監督のシーズン途中での突然の解任が発表され佐々木恭介ヘッドコーチが監督代行となった。佐々木監督代行の下、チームは盛り返し、シーズンを2位で終えた。山﨑武司とのトレードでオリックスから移籍した平井正史が12勝を挙げカムバック賞を受賞、ミラーの代役・アレックス・オチョアも及第点の成績を上げ、この年リーグ優勝の阪神に唯一勝ち越したが、チーム本塁打数は137本でリーグ最下位[2]と阪神の爆発力の前に霞んでしまった。外様の山田監督で失敗した経緯から、後任の監督には1993年まで中日に在籍したOBの落合博満が就任。落合新監督のもと、チームの体質改善が始まることになる。
チーム成績
レギュラーシーズン
2003年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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最終成績
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1位
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阪神 |
--
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阪神 |
--
|
阪神 |
--
|
阪神 |
--
|
阪神 |
--
|
阪神 |
--
|
2位
|
ヤクルト |
2.0
|
巨人 |
8.0
|
中日 |
12.5
|
中日 |
17.5
|
巨人 |
16.0
|
中日 |
14.5
|
3位
|
巨人 |
2.5
|
中日 |
8.0
|
巨人 |
8.5
|
ヤクルト |
19.0
|
中日 |
17.5
|
巨人 |
15.5
|
4位
|
中日 |
2.5
|
ヤクルト |
9.5
|
ヤクルト |
14.0
|
巨人 |
19.5
|
ヤクルト |
18.5
|
ヤクルト
|
5位
|
広島 |
3.0
|
広島 |
11.5
|
広島 |
17.0
|
広島 |
22.0
|
広島 |
19.5
|
広島 |
20.0
|
6位
|
横浜 |
11.0
|
横浜 |
20.0
|
横浜 |
30.0
|
横浜 |
39.0
|
横浜 |
42.5
|
横浜 |
42.5
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オールスターゲーム2003
できごと
選手・スタッフ
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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表彰選手
ドラフト
脚注
注釈
- ^ 6月17日までの登録名は「大塚晶文」。
- ^ 二塁手部門で3度、遊撃手部門で1度受賞しており、通算5度目。
出典
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |