1994年ベルギーグランプリ(1994 Belgian Grand Prix)は、1994年F1世界選手権の第11戦として、1994年8月28日にスパ・フランコルシャンで開催された。
予選
シーズン序盤に重大事故が続発したことを受け、スパ・フランコルシャンの超高速コーナー「オー・ルージュ」がシケインに変更された(この年限り)。
予選は2日間とも名物の「スパ・ウェザー」に見舞われた。初日の1回目ではコースコンディションがウェットからドライへと変化する中、ドライ用のスリックタイヤでアタックしたルーベンス・バリチェロが暫定ポールポジションを獲得。翌日の2回目はウェットコンディションとなり、バリチェロがコースインせずピットで状況を見守る中、誰にも初日のタイムを破られることなく、バリチェロの初ポールポジションが決定した。フル参戦2年目(エントリー27戦目)のバリチェロは、22歳と96日での最年少ポールポジション記録を樹立した[1]。また、ジョーダンチームにとっても初ポールという二重の喜びとなった。
結果
決勝
決勝当日は安定したドライコンディションでレースが行われた。初優勝なるかと注目されたバリチェロだが、オープニングラップのケメル・ストレートでミハエル・シューマッハに抜かれ、さらにジャン・アレジにも抜かれ、以後もポジションを下げると、20周目にスピンアウトしてレースを終えた。アレジも2周目にエンジンブローでリタイアし、その後はシューマッハが後続を引き離して独走態勢を築く。
シューマッハは19周目に下りの高速コーナー「プーオン」の出口でオーバーランして1回転スピンを喫するも、すぐに体勢を立て直して走行を続けた。チャンピオンシップのライバルであるデイモン・ヒルはチームメイトのデビッド・クルサードとの争いに手間取り、シューマッハ追撃には至らなかった。
シューマッハはヒルに20秒近くの差をつけてトップチェッカーを受け、今期8勝目を達成した、と思われた。しかし、レース後の再車検において車体底面に装着している木製の板(スキッドブロック[2])が規定の厚さよりも1.6mm薄いことが判明。ベネトンチームは単独スピンの際に縁石に擦って削れた、と主張したが、審判団は問題の箇所とは異なるとして抗議を認めず、レース5時間後にシューマッハの失格が決定。2位以下の順位が繰り上がり、ヒルが優勝者となった。すでにサーキットを離れていたシューマッハは、友人宅で行われた祝勝パーティーの最中にこの悪い知らせを聞かされた。
シューマッハの失格はイギリスGPの黒旗無視に続いて今期2度目であり、ベルギーGP後にはペナルティーとして2戦出場停止が決まっている。
結果
- ミハエル・シューマッハはレース後の車検で、スキッドブロックが規定以上に削れていたため失格
脚注