齋藤 毅(さいとう つよし、1913年(大正2年)9月20日[1] - 1977年(昭和52年)10月14日)は、昭和期の図書館学者。第4代の国立国会図書館副館長および第5代の図書館短期大学学長である。
経歴
山口県大津郡三隅町(現・長門市)出身。1937年(昭和12年)3月東京帝国大学文学部国文学科卒業後、大学院を経て仙台陸軍幼年学校国漢科教官、1941年(昭和16年)建国大学助教授を歴任。1947年(昭和22年)より衆議院事務局嘱託。同年国立国会図書館の職員として一般考査部部付室長、連絡調整課長、閲覧部長、総務部長を勤め、1970年(昭和45年)7月から1973年(昭和48年)6月まで副館長。同年図書館短期大学学長。1977年(昭和52年)死去。死後に従三位勲二等瑞宝章。
著書
- L・R・マッコルビン著 齋藤毅訳 『現代の図書館』 河出書房 1953年
- 斎藤毅著 『明治のことば―東から西への架け橋―』 講談社学術文庫 1977年
脚注
- ^ 『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年、さ105頁。
参考文献
- 社団法人 日本図書館協会 図書館学教育部会会報 第6号 1978年3月31日発行[1]
筑波大学学長(図書館短期大学長:1973年 - 1977年) |
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前身諸学校・大学長 |
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東京帝国大学農科大学附属農業教員養成所主事 | |
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東京帝国大学農学部附属農業教員養成所主事 | |
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東京農業教育専門学校長 | |
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| 東京体育専門学校長 |
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体育研究所長 |
- 北豊吉 1924-1932
- 事務取扱 山川建 1932-1934
- 岩原拓 1934-1939
- 所長/事務取扱 小笠原道生 1939-1941/1941
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東京高等体育学校長 | |
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東京体育専門学校長 | |
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| 国立盲教育学校長 |
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- 事務取扱/校長 松野憲治 1949-1950/1950-1951
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| 国立ろう教育学校長 |
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- 事務取扱/校長 川本宇之介 1949-1950/1950-1951
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