鹿児島県立奄美高等学校(かごしまけんりつあまみこうとうがっこう, Kagoshima Prefectural Amami High School)は、鹿児島県奄美市名瀬古田町にある県立の実業高等学校。地元では「奄高」(あまこう)と呼ばれている。
概要
- 歴史
- 1917年(大正6年)創立の「名瀬村立名瀬実科高等女学校」を前身とする。1954年(昭和29年)に名瀬市内の県立高校2校と市立高校1校、計3校の統合により「鹿児島県立大島実業高等学校」となる。現校名になったのは1970年(昭和45年)。2012年(平成24年)には創立95周年を迎えた。
- 設置課程・学科
- 全日制課程 5学科
- 商業科
- 情報処理科
- 家政科
- 衛生看護科 - 県内の衛生看護科を擁する高校では唯一専攻科(3年修了後の2年制)を併設しておらず、卒業後の准看護師養成を視野に入れた学科[注釈 1]。
- 機械電気科 - 2年次から2コース(電気コース・機械コース)に分かれる。
- 定時制課程(夜間) 1学科
- 校訓
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- 校章
- 現在の校章は2代目で2003年(平成15年)に制定された。校名の「奄」の文字を図案化したものを背景にして中央に「高」の文字を置いている。
- 校歌
- 作詞は内与詞守、作曲は武田恵喜秀による。歌詞は3番まであり、最後に校名の「奄美高校」が登場する。
- 同窓会
- 校舎の建つ地にちなんで「配田ヶ丘(はいだがおか)同窓会」と称している。
沿革
- 前身(高等女学校)
- 1917年(大正6年)6月 - 名瀬尋常高等小学校(名瀬村金久里/奄美市立名瀬小学校の前身)に「村立名瀬実科高等女学校」が併設される。
- 修業年限を2年、定員を100名とする。校長は名瀬尋常高等小学校校長が兼任。
- 1920年(大正9年)9月 - 修業年限を3年、定員を150名に変更。
- 1923年(大正12年)7月 - 名瀬村が町制施行により名瀬町となったため「町立名瀬実科高等女学校」に改称。
- 1928年(昭和3年)3月 - 修業年限を4年、定員を200名に変更。
- 1929年(昭和4年)5月 - 専任校長として大井徹翁が就任。
- 1930年(昭和5年)3月 - 定員を400名に増員し、「鹿児島県奄美高等女学校」(名瀬町立)に改称。
- 1931年(昭和6年)2月 - 県立移管により「鹿児島県立奄美高等女学校」に改称。
- 1934年(昭和9年)12月 - 元カトリック立大島高等女学校[注釈 2]校舎(名瀬町金久配田)に移転。
- 1945年(昭和20年)9月2日 - アメリカ軍によって奄美群島は本土から分割され、琉球列島米国民政府の統治下に置かれる。
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、新制中学校を併設(以下・併設中学校)。
- 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により、高等女学校の生徒募集を停止。
- 1949年(昭和24年)4月 - 学制改革により、高等女学校は廃止され、新制高等学校「臨時北部南西諸島政庁立 大島高等学校 第二部」となる(本土より1年遅れ)。
- この時、旧制中学校が第一部、農林科が第三部となった。
- 1950年(昭和25年)
- 4月 - 第一部(男子部)に第二部(女子部)の生徒を編入させることで男女混合の学級(普通科のみ)を編成し、男女共学を開始。
- 11月25日 - 「奄美群島政府立 大島高等学校 第二部」に改称。
- 1951年(昭和26年)9月 - 総合制を解消し、家庭科を有する「奄美群島政府立 大島女子高等学校」となる。
- 1952年(昭和27年)4月 - 「琉球政府立 大島女子高等学校」に改称。琉球大学大島分校が併設される。
- 1953年(昭和28年)12月25日 - 奄美諸島が日本に返還され、「鹿児島県大島女子高等学校」に改称。琉球大学大島分校が廃止される。
- 統合
学校行事
- 9月 - 体育祭(全日制)
- 10月 - 文化祭(定時制)
- 11月 - 奄高祭(全日制)
部活動
- 全日制課程
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- 運動部
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- 文化部
- 定時制課程
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- 運動部
交通
- 最寄りのバス停
- しまバス「奄美小学校前」バス停
- 奄美空港からバスで約1時間
- 名瀬港からバスで約20分
周辺
著名な出身者
脚注
- 注釈
- 出典
関連項目
外部リンク