魄龍 弘(はくりゅう ひろし、1954年4月12日 - )は、山形県東田川郡藤島町(現・鶴岡市)出身で鏡山部屋(入門時は伊勢ノ海部屋)所属の元大相撲力士。本名は大沼 弘(おおぬま ひろし)。現役時代の体格は、身長174cm、体重130kg。最高位は西十両筆頭(1979年11月場所、1982年1月場所)。得意手は右四つ、寄り、上手投げ、血液型はAB型。
相撲は幼い頃からを取っていたが中学校では野球部に所属し、ポジションは捕手を務めた。中学3年生の時に学校で体格の大きい生徒を集めて山形県の相撲大会へ出場することになり、その一員として軽い気持ちで出場したら大会で準優勝の成績を収める活躍を見せた。その活躍ぶりを知った柏戸の郷里後援会から角界入りを打診されたが、当初は入門する気はなく、母も入門には大いに反対していた。一方で柏戸を大いに贔屓していた父が、柏戸の自宅訪問に感激して承諾したので、自身も入門を決意した[1]。柏戸は魄龍が入門する少し前に引退し年寄・鏡山となっていたが、その内弟子として伊勢ノ海部屋に入門し、1969年11月場所に15歳で初土俵。1970年1月に新設された鏡山部屋に移籍する。四股名は初土俵時は本名の「大沼」、幕下に定着すると「昇竜の気魄を持て」との意味で東京の知人が命名した[1]「魄龍」に改めた。
1979年5月場所に25歳で新十両。以降十両に定着し安定した成績を残したが、大人しい性格で本場所では実力を発揮しきれなかったこともあって幕内昇進は果たせなかった。1982年~1983年は常に十両上位にあった。1987年9月場所を最後に幕下に陥落。最後は三段目まで番付を落とし1988年5月場所限りで34歳で現役を引退。若者頭に転身し後進の指導に当たった。十両在位47場所は史上10位タイ、幕内未経験力士に限定すると史上最多である。なお、若者頭就任後も現役時代の四股名である魄龍を名乗っていたが、2000年1月から伯龍弘基と改名した。2019年4月に65歳を迎え、日本相撲協会を停年(定年)退職した[2]。