飯田 明弘(いいだ あきひろ、1946年12月9日 - 2017年9月15日[1])は中央競馬・栗東トレーニングセンターに所属していた元騎手・元調教師。東邦高等学校卒。息子は元騎手・現調教師の飯田祐史。孫はタレントの足立梨花。
1965年、中京・小林稔厩舎所属の騎手候補生となる。
1969年、同厩舎より騎手デビュー。初騎乗は3月1日で、タカレットに騎乗し2着、3月16日に再び同馬に騎乗して勝利し初勝利を挙げる。
1970年、中京記念をゼットアローで制し重賞初勝利を挙げる。
1982年、フリーとなる。同年9月5日のレース中に村本善之騎手(当時)の頭を2度打ち、開催4日間の騎乗停止となる。
1988年、調教師免許を取得し騎手を引退する。騎手成績は、JRA通算5305戦632勝(重賞24勝)。
1989年、厩舎を開業する。3月4日、初出走となった阪神競馬場での第11レースは、7番人気だったタカシャネルが9着となる。3月26日に阪神競馬場での第3レースで、1番人気だったリュウシャムソンが勝利し延べ9頭目で初勝利を挙げる。
1993年、息子・祐史が騎手となり厩舎に所属する。
1995年、東京障害特別(春)をリターンエースが制し重賞初勝利を挙げる。
1997年、5月29日に管理馬が地方競馬に初出走。
2002年、4月4日に名古屋競馬場で行われた名古屋優駿を10番人気だったホーマンキュートが制し、地方競馬初勝利およびダートグレード競走初勝利を挙げる。
2013年、優駿牝馬(オークス)をメイショウマンボで、JRA・G1競走初勝利を挙げる。
2014年、体調不良を理由に2月28日付をもって調教師を引退。預託馬のうちメイショウマンボは、同年3月に厩舎を新規開業した息子の祐史に預託された[2]。
2017年9月15日、病気のため逝去。70歳没[1]。
※太字はGIレース
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
しくじり先生 俺みたいになるな!!(不定期)
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