阿部 正定(あべ まささだ)は、江戸時代後期の大名。陸奥国白河藩の第5代藩主。忠秋系阿部家13代。
文政6年(1823年)、白河藩阿部家分家で旗本3000石の阿部正蔵の長男として江戸にて誕生。嘉永元年(1848年)5月10日、先代藩主の阿部正備が隠居したため、養子として跡を継いだが、3か月後の8月25日に病死した。享年26。
跡継ぎがいなかったためその死は秘匿され、宗家に当たる備後福山藩阿部家から正耆(阿部正粹の次男)を養子に迎えて10月15日に養子届出を幕府に提出、同日に正定の死亡届も提出、11月30日に正耆は白河藩を継いだ。その後、正耆の死後に弟・正外が白河藩を継承した[3]。
父母
正室
養子