阪神高速12号守口線(はんしんこうそく12ごうもりぐちせん、Route 12 Moriguchi Line)は、大阪府の、大阪市北区の天神橋JCTから守口市の守口JCTへ接続し、国道1号(寝屋川バイパス)へ至る、阪神高速道路の路線である。
概要
阪神高速1号環状線から伸びる放射路線の一つで、国道1号寝屋川バイパスや近畿自動車道を介して第二京阪道路と接続することで大阪市内と京都方面とを結ぶ役割を果たす。法令上の路線名は大阪府道高速大阪守口線(森小路線を除く、後述)。
森小路線
本線より分岐して森小路出入口に至るまでの区間は、利用者向けの案内や標識では守口線の単なるロングランプとして扱われているが、法令上は大阪市道高速道路森小路線という守口線とは別の路線である。以前は法令上の路線区分と同様に「大阪守口線」と「森小路線」とが利用者向けの地図等でも区別されていたが、1989年に路線番号が導入されて以降は2つを合わせて12号守口線と呼称するようになっている。
森小路出入口は将来の延伸を考慮した構造となっている。この構造の動機となった延伸構想に関する公式な発表は無いが、少なくとも森小路線建設中の1967年の時点では、阪神高速道路公団は森小路付近を南北方向に通過する大阪5号線という路線の都市計画決定を要望していた。この路線は翌年の都市計画決定には至らなかったが、森小路線供用直後の時点でも将来構想において維持されていた。しかし、1970年1月に有識者委員会によって、既存路線とは接続しない新しい高速道路網構想が作成された(詳細は阪神高速道路第二環状線を参照)ため、森小路線の延伸の可能性は供用後2年足らずで消滅することとなった。後にこの構造を流用して森小路ミニパーキングエリアが設置された。
2006年頃、淀川左岸線延伸部(2号淀川左岸線豊崎出入口 - 門真ジャンクション)のルート選定において守口線・森小路線を活用するルートが提案されたことで、再び森小路線が延伸される可能性が生まれたが、高架橋の新規建設には多くの用地が必要であり景観的にも好ましくないことや、守口線の容量を圧迫する可能性がある等のデメリットが指摘され、最終的に守口線・森小路線活用案は採用はされなかった[4]。
出入口など
本線
森小路線
歴史
開通まで
阪神高速道路公団が設立される数年前、1960年に阪神地区高速道路協議会によって作成された『阪神地区高速道路網計画』において、既に大阪茨木線として、京都・名古屋方面へ伸びる予定の名神高速道路と大阪都心部とを連絡する役割を担う路線が構想されていた。そのルートは、大阪環状線と呼ばれる路線[注釈 1]の北東端から淀川沿いに北上し、堺布施豊中線(現中央環状線)と並行して淀川を渡り、新幹線貨物駅(現大阪貨物ターミナル駅)付近を通って名神茨木インターチェンジへ至るというものだった。同協議会による1961年7月31日の修正案『阪神高速道路網計画案』や、1962年7月頃に阪神高速道路公団が発表した事業計画では、同等の路線が守口線と呼ばれている。
幾度の検討ののち、阪神高速道路の最初の路線網の一つとして、1962年9月に現在の天神橋ジャンクションから森小路出入口に至る区間が大阪市道高速道路3号線(略称「大阪3号線」)という路線名で都市計画決定され、また将来的な計画に大阪3号線の途中で分岐して守口・茨木へ至る路線と大阪3号線の終点から南に至る路線が盛り込まれた。大阪3号線は1968年上半期供用を目指して、1965年度より本格的な用地買収に着手した[注釈 2]。用地取得に伴う費用と一般市民への負荷を最小限にとどめるためにほぼ全線が河川・運河上(天満堀川、大川右岸、城北川)に建設されることとなったが、道路幅よりも川幅が狭い区間や扇町付近の90度カーブ地点など民有地取得が必要な箇所も存在した。
1966年になり、阪神高速は1970年春開催予定の大阪万博へ向けて新規路線を追加で建設することを決定した。その中には大阪3号線から中宮町付近で分岐して淀川左岸の用水路(江野川)を通って守口市で当時計画中の寝屋川バイパスや中央環状線と連絡する路線も含まれており、人口の増加しつつある枚方・寝屋川方面と大阪市を結ぶとともに、万博会場への経路としての役割を担うものとされた。同年9月に、既存路線から分岐して守口に至る区間が大阪市道高速道路3号分岐線という路線名で都市計画決定された。なお、後に路線体系が変更され、北浜 - 城北 - 守口間が大阪府道高速道路守口線に、城北 - 森小路間が大阪市道高速道路森小路線に改称された。
開通後
大阪3号線として着工された北浜 - 城北 - 森小路間は、計画通り1968年に供用された。ただし、都市計画街路長柄堺線(天満橋筋)と同時施工となった長柄出入口のみ1年遅れての供用となった。
一方、城北 - 守口間は大阪万博開催までに供用することを目指していたが、沿線には大阪工業大学など教育施設が多く、公害(特に騒音)を懸念した学校関係者や地元住民らによる建設反対運動があったために着工が遅れた。公害対策として高架下水路の埋め立てによる緑道化、学校の屋上より高い位置への高架橋の建設(最も高い大阪工業大学付近では地上22メートル)、初の採用となった落下物対策を兼ねた高さ1メートル(高欄と合わせて2メートル)のプラスチック板による遮音壁の設置など様々な対策を講じ[25]、供用は万博終了から1年以上後の1971年10月となった。また、供用後も引き続き沿道に緩衝帯を設ける工事が行われた。
1989年、関西国際空港の開業に向けて、外国人にも識別しやすいように阪神高速道路の全ての路線に路線番号が導入され、それまで大阪守口線および森小路線と呼ばれていた路線が12号守口線と案内されることとなった。
かつて、守口線から環状線へ向かう交通を分散させるために、長柄出入口付近に新しく上り方向の出口(仮称「天満出口」)を設置する構想があった。天満出口は森小路ミニPAと同じ1990年度に事業化されたもののその後進展はなく、設置構想は消滅したようである。
年表
道路情報ラジオ
- 都島(長柄 - 都島)
- 守口(守口TB - 守口)
阪神高速の道路情報ラジオの冒頭は「こちらは阪神高速路側○○(局名)です。午前(午後)○○時○○分現在の道路情報をお知らせします。」と放送される。
車線・最高速度
区間
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車線 上下線=上り線+下り線
|
最高速度
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通常時
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早朝・深夜
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天神橋JCT - 長柄
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4=2+2
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50km/h
|
長柄 - 守口
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60km/h
|
50km/h
|
- 騒音発生防止のため、早朝と深夜(23時から翌日6時まで)は、最高速度が60km/h区間では50km/hに制限されて、全線で左車線が特定以外の中型乗用・普通乗用・二輪、右車線が二輪を除く自動車に車両通行区分が指定される。
交通量
24時間交通量(台) 道路交通センサス
区間 |
平成17(2005)年度 |
平成22(2010)年度 |
平成27(2015)年度
|
天神橋JCT - 南森町出入口 |
81,834 |
83,429 |
79,987
|
南森町出入口 - 扇町出入口 |
81,834 |
67,340 |
64,585
|
扇町出入口 - 長柄出入口 |
81,834 |
73,556 |
71,680
|
長柄出入口 - 都島入口 |
81,834 |
65,216 |
64,760
|
都島入口 - 城北出口 |
81,834 |
61,657 |
56,794
|
城北出口 - 城北分岐 |
81,834 |
54,461 |
56,794
|
城北分岐 - 森小路出入口 |
11,317 |
10,461 |
9,641
|
城北分岐 - 守口出入口 |
60,540 |
47,734 |
47,831
|
守口出入口 - 守口JCT |
60,540 |
34,076 |
30,008
|
守口JCT - 国道1号接続部 |
35,411
|
(出典:「平成22年度道路交通センサス」・「平成27年度全国道路・街路交通情勢調査」(国土交通省ホームページ)より一部データを抜粋して作成)
ギャラリー
脚注
注釈
- ^ 大阪茨木線とともに計画にあった路線。同時期に計画・建設されていた鉄道の大阪環状線とは関係が無い。
- ^ 厳密には、先行開業する環状線と接続する部分のみ前年の1964年度から用地買収に着手。
- ^ 入口の位置は東扇町のまま
- ^ 出口の位置は古市大通のまま。
- ^ 旭区中宮町 - 城東区古市北通は大阪3号線のまま。
出典
参考文献
外部リンク
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現路線(阪神圏) | |
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事業中路線 | |
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構想路線 | |
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他へ移管した路線 | |
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事業が中止・中断された路線(未成線) | |
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関連項目 | |
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