長谷 信成(ながたに のぶなり)は、日本の公家、官僚・華族。子爵。
経歴
山城国京都で参議・長谷信篤の長男として誕生。美濃権介に任じられる。慶応2年8月(1866年)朝廷刷新の二二卿建議(廷臣二十二卿列参事件)に加わり、同年12月差控となり、慶応3年2月(1867年)に許された。
慶応3年12月9日(1868年1月3日)王政復古を迎え、同月、秘書御用、参与助役となり、慶応4年1月14日(1868年2月7日)参与に任じられた。その後、会計事務局補加勢、同局権補、近臣、御厩御用掛、少納言、侍従、宮内権大丞、皇后宮亮、兼宮内少丞、白峯宮宮司兼大講義、宮中祗候、歌御会講頌御人数、御歌所参候、御歌御会始奉行などを務めた。
父・信篤の死去に伴い、1903年1月20日、家督を相続し子爵を襲爵した[4]。
栄典
系譜
脚注
- ^ 『官報』第5863号、明治36年1月21日。
- ^ 『官報』第5688号「叙任及辞令」1902年6月21日。
- ^ 『官報』第1322号「叙任及辞令」1916年12月27日。
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録』(4版)人事興信所、1915年。
- 修史局 編『百官履歴』《上巻》日本史籍協会、1928年。
- 日本歴史学会 編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
- 霞会館 編『平成新修旧華族家系大成』《下巻》吉川弘文館、1996年。
- 安岡昭男 編『幕末維新大人名事典』《下巻》新人物往来社、2010年。